穴



 
工事は気温が徐々に上がり、街にノースリーブ姿がちらほらと見受けられるようになった頃に始まった。
その日、つるはしとスコップを抱えた男が熱せられたアスファルトの上を四車線ぶん渡り、中央分離帯に踏みあがった。さながらタイヤと排ガスの川の中洲といったところの、幅一メートルの細い足場である。
それから何度か往復し看板やカラーコーンを設置するとすっかりそこは現場になった。
男は腕にかけていた黄色いヘルメットからタオルやペットボトルを取り出して下に置き、つるはしを取り上げる。
一回打ち付けただけではコンクリートに何の変化も見られなかった。しかし、一定のリズムで打ち付けていくうち表面に亀裂が走り、幾度目かの打撃で亀裂は急に広がり、さらに灰色の小片となって道路に砕け散った。
男はそうして一日目の工事を終えた。

工事は何日も続いた。一週間が経過する頃にはコンクリートはすっかり砕かれ、下のアスファルトも取り除かれて赤い土がむき出しになっている。
男はその土をスコップ一本で掘り始めた。ゴロ石も多く締まった土壌はなかなかに頑丈でなかなかスコップの刃を通そうとしない。
男は忌々しそうに汗を首のタオルで拭った。一週間前に比べて日差しは格段に強くなっており、髭面に汗が溜まって鬱陶しい。
「何の工事だね。」
暑さに気をとられていた男は、背後からの声にぎょっとして振り返った。いつ頃から居たのであろうか、そこには日焼けした老婆がちんまりと立って、男の作業を見守っているのだった。
「水道の工事だよ。そこに看板があるから詳しい事は読んでみな。」
「そうかい、難儀なことだね。」
 何度も頷きながら、しかし別に看板を見ることも無く老婆はずっと立ったままだ。
 男は黙って作業を続けた。ざくり、ざくり、と数回スコップを入れ、刃に当った石を屈んで拾って脇に避ける。また不意に声が降って来た。
「一人でやってるのかい。」
「なにせ狭いからな、誰か居ても邪魔になるだけなんでね。」
「でも一人じゃ大変だろう。」
「別にそうでもない。」
「大変なはずさね。ここらの土はね、こういう丹みたいな色をしてるだろ。こういう土は固くて掘り難いんだよ。あんた、ずっとやってるけど工事進まないね。」
 丁度一際大きな石を抱えだそうとしていた男はむっとした顔で老婆を振り仰ぎ、いささか乱暴にその石を老婆の足元ギリギリに投げ出した。
「放って置いてくれ、ばあさん。」
「はいはい、頑張りなさいよ。」
 それきり静かになったので、男はまた屈んだ姿勢でスコップをねじ入れていく。しかし、長くは続けられなかった。
「そういえばお前さん、道の向こうっかわの建物がなんだか知ってるかね。ほら、あの煉瓦の。」
 まだ居たのか。至極面倒くさそうに男は首を振る。
「あれねぇ、刑務所なんだよ。私の息子はあそこに居るのさ。」
「刑務所?」
 少し興味を引かれたらしく、男は首をねじるようにして老婆の皺だらけの顔を眺めた。何本もの皺に折りたたまれたその表情は読みにくく、ことに茶色の目は垂れ下がるまぶたに覆われて半分も見えない。
「ばあさんの子供、なんかしたのか。」
「何んもしてるものか。優しい子なんだよ。その日だって私の一人暮らしが心配だからって、突然様子を見に来てくれたのにね、警察がいきなり来て引っ張っていっちまった。いいかい兄さん。この州の警察はね、ろくなやつらじゃないよ。あの刑務所だってね、酷いんだよ。窓も無い暗ァい牢屋があるんだって。」
 特に男に聞かせるつもりが無いようにも見えた。老婆は言葉の端に憤りを滲ませ、ぶつぶつと非難の言葉を紡ぐ。
「お天道様が見えないような所にさ、人を何年も押し込むなんて同じ人間のやることじゃないやね。可哀想に、あの子もそこに入れられたんじゃないかねぇ。まったく警察は数ばっかりいるけどみんな無能のブタどもだよ、ほんとに。」
「それは独房だろ、よほど悪い野郎じゃなきゃ大丈夫だろうよ。」
「そうかねぇ、でも警察は悪いことしたって言ってたよ。」
「だから何したんだ、いや、あー、何したって言われたんだ。」
「盗んだんだって。どっかの車をね。」
「じゃ、大丈夫だよ。」
「大丈夫かい。でも盗むのだって悪いことだろう。」
「ばあさん、この世の中にはね、もっと色々盗んでる泥棒も、もっと非道な奴らもいるんだ。あんたの息子さん、それに比べりゃ大したこと無いよ。すぐ出られるさ。」
 そうかい、そうかい。と老婆は何度も頷き、最後にもう一度、「じゃ、頑張りなさいよ。」と言って分離帯を降りた。車が走ってくる。
しばらくじっとその流れを見て、そのうちゆっくりと車線を越していった。
 そうしてよちよちと老婆が無事に渡りきるまで、男は掘る手を休めていた。
 

 本格的な熱波が男の頭上で猛り狂うようになっていた。工事はまだ続いているが、最早道路から男の姿は見えない。
 人の気配を感じて男が穴の外を見上げると、白いピンヒールの見事な足が並んでいた。
「お疲れ。頑張ってるようね。」
「不二子か。何の用だ。」
「あら、随分な言い方ね。アイスの差し入れに来てあげただけよ。」
 彼女は水滴したたる冷たい箱を穴の中に掲げた。それを腕を伸ばして受け取りながらも、男は「どうせならビールにしろよ。」と呟く。それを聞きとがめたのか、形の良い口唇をとがらせて言い返してきた。
「ダメよ。この暑さでアルコールなんか摂ったら酔いが回って倒れるちゃうじゃない。」
「そんなんで俺が酔うか。そもそも手伝いもしねぇで暢気なもんだな。」
「あたしにはあたしの仕事があるの。大体、ここは狭くってあたしが居ても邪魔なだけでしょ。」
「そうだな。まぁそういう訳だからとっとと退いてくれると助かる。」
「言われなくても行くわ。安心して頂戴。」
 しかし、女にはまだ伝えることがあった。
「そうそう、ルパンの事だけど。」
 土が詰まった麻袋を持ち上げて穴の外に出そうとするのを、上から女が手を貸す。
 男はついでに腕力を使って一息に自分の身体を出した。
「潜入には成功したそうよ。欲しい情報もこの調子ならすぐね。」
「良かった。計画通り行ってるのか。」
「ええ。あとは貴方の根性次第だから、期待してるって。ま、頑張りなさい。」
 言うだけ言って女はまた去っていった。
 舌打ちを一つした男のほうはアイスを食べてから麻袋をいくつかリヤカーに乗せ、遅れて道路を渡っていく。やがて空になったリヤカーを引いて戻ってくるとまた黙然、穴の中に戻っていった。


 夏の盛りも過ぎて、人々が休暇から仕事が山積みのオフィスへいやいや戻ってくる頃になっても男は変わらず働いていた。
 穴の深さは何メートルだろうか。自分の身長より深くなり、もう自力では出られないほどになっているので油圧式のジャッキがついた踏み台が設置されている。
「何の工事ですかな。」
 転がり落ちてきた小石がヘルメットに当り、忌々しげに空を見上げた時に声を掛けられた。
 遠近感のせいで足が妙に太いおかしなバランスで、中年の男が覗き込んでいる。
「水道工事ですよ、旦那。そこの看板に書いてあるでしょうが。」
「届出は?ちゃんと出してるのか。」
「出してるはずですがね。そういうことは会社に聞いてくれ。第一あんた誰です?」
「バッヂが見えないのか?」
「生憎このアングルでね、なんだかよく分からねぇなァ。」
 この態度に「客」は明らかに気分を害したようだった。ぶっきらぼうに刑事だと名乗ると、穴の周りを検分して歩きながら喋り始める。
「水道工事だって?しかし、それにしちゃあ随分と深いじゃねェか、え?」
「そりゃ深いトコに埋まってるからでしょうよ。もうすぐ管が出てくンじゃないですかい。」
 答えながら、しかし男は刑事の顔を見もせずにせっせと掘り続ける。
「あんた、この下が何か知ってるのか。」
「だから水道管じゃねェんですか。」
「馬鹿、水道管を発掘するのにいちいち届けがいるか。この下はな、隣の刑務所の独居房が伸びてんだよ。」
「へぇ、だけど掘っても掘っても土ばかりですぜ。」
「水道管もねェようだしなァ。」
 じっとりと刑事が赤い土くれに目を遣って、独りごつ。穴の縁の近くで動くたびに微細な石や土が転がり落ちるので、男としてはもういい加減腹に据えかねてきたところだ。
「地下牢なんだと。まさかとは思うがな、もしや妙なこと考えてたりはしないだろうな。」
「何のつもりで言ってンのか知りませんがね、俺はただ会社に言われてここ掘ってるだけですよ。」
「その会社ってのがもともと怪しいんだ。俺も土木業者はいくつか知ってるがな、そこに書いてあるような会社を知ってる業者はいない。」
「新興の会社らしいですぜ。それでこんな手を出しにくいところの工事も引き受けてるんだそうで。」
 男が何を言っても刑事は到底納得しかねるらしい。二、三他にも工事の詳細について質問を投げかけてきたが男は相変わらず掘り続けていて、おざなりな答えを返すだけだ。刑事などには構っていられぬらしい。その間にも土は降り注いでいるものだから、とうとう男の堪忍袋が切れた。
「いい加減にしてくれませんかね。もう納期は随分迫ってんだ。調べたいならそこの電話番号にかけて勝手に会社を告訴でも何でもしてくれりゃいいんですよ。さっさと向こう行ってくれ。」
「そうは行かん。」
 対する刑事の答えはにべも無い。逃げられちゃ困るからな、と柄の悪い口調で土に唾を吐き捨てて携帯を取り出した。
「ここで電話させてもらうぜ。」
 肩をすくめてそれに答えると、思う存分とばかり男はまた土を崩すのに熱中しだす。スコップの先がまた一段と硬い物に当ったか、つるはしに持ち替えて力いっぱい振り下ろした。があんと頭に響く音がしたが、一部は穴の壁に吸収され残りは両側を走り抜ける車輌の間断ない排気音でかき消されて、看板に小さく書かれた番号を読み取ろうとしている刑事は気づかない。
「・・・ああ、警察の者だがね、ちょっと聞きたいことがあるんだが・・・え?・・・畜生、聞き取れねェ。」
 毒づく刑事に、穴の下から間延びした忠告が登ってきた。忙しなく続くつるはしの高い音に刑事もそろそろ気が付いていたが、電話の向こうに気をとられて向けるだけの注意が残っていない。
「旦那ァ、言い忘れてましたがね、この辺電波悪いんですよ。そういう時はね、もうちっとずれると良いですよ。いえ、そっちじゃねェんで、そうそう、そっちの細くなってるほうにね。あー、少しばかり右で。もうちょっと、もうちょっと右です。」
 可笑しいなァ、その辺に上手く入る所があるんだが。などと笑いながら男はしきりに首をひねってみせる。笑えないのは刑事の方だ。指示通りに動くのが段々と馬鹿らしく思えてきたようだ。
 つるはしはせっせと振り下ろされている。
「はっきりしろよ、どこなんだそれは。」
「まァ怒りなさんなって。そら、もうちょっと奥に行ってみてください。そう、んで、一歩右・・・おっと、旦那ァ?」
 低く続いていた文句が、不意に掻き消えた。同時に鈍い音がして男の周りの土壁が衝撃に揺れる。
「何だ、コレはッ!」
「あー、すんませんねぇ、ためしに掘ってみた穴のこと、すっかり忘れちまってたようで。へェ。」
 笑いをかみ殺した男の言葉は、はたして刑事に届いたかどうか。いまや同じくらい深い穴の底の住人となった刑事はどう背伸びをしてみても、指さえ入り口に及ばなかった。
 土壁の振動が、罵りながらもぴょんぴょん跳ねているらしい刑事の様子を伝えてくる。
 それに構わず満足そうに口の端を持ち上げて、男は最後のつるはしを振るった。

「ご苦労、次元ッ!!」
 砕け散ったコンクリートの下にはぽっかり開いた空間。そして囚人服姿のルパンが立っていた。




  原作の雰囲気をテキストで・・・ってすいません認めます。撃沈です(笑)
ポイントは、1、客観視(心理描写ナシ) 2、過剰な説明をしない 3、どんでん返し
1には拘ってみたんですが書いてるうちにどんどんボロが出てきて、どん返しくらいにしかなりませんでしたわ。
結局何がいいたいかというと、MP氏は偉大だ、ってことです(^^;)
因みに最後の刑事は銭形じゃありません。





モクジへ     ハジメから





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