むじなばなし



 裏切るオンナがいれば、裏切られるオトコがいる。
 逆もまた―――然り。

 何とも贅沢な眺めだった。
 高級そうな牛革のソファがひとつ、広いリビングに置かれていた。
 それに座って、美しい女性が艶然と微笑んでいる。その柔らかで豊かな胸のふくらみの谷間に、これまた至宝ともいうべきダイヤのネックレスが輝く。
 羨ましいことに彼女と室内に二人きりでいる男が、たった今プレゼントしたばかりだ。
 これを手に入れるために使った金額は計り知れない、と言いたいが実際のところ金はそう掛かっていない。その代わり彼は命を賭けて持ちかえった。
 つまるところ、無断借用してきたというわけ。勿論永久に返すつもりは無い。今頃持ち主と警察が彼を血眼で捜している。
 指揮を執っているだろう銭形の努力を横目にこちらは優雅にシャンペンを注いだ。
「乾杯!」
 白いテーブル掛けに、黄金色のシャンペンはよく映える。
「・・・でも、本当に取って来てくれるとは思わなかった」
「オレに出来ねェことがあると思ってた?」 
「だって」と不二子は目をルパンの肩に逸らし、
「銭形警部はいるし、あそこのセキュリティシステムは手強いものだったでしょ。それに、次元や五右ェ門は早々に降りちゃうから、ちょっと心配してたの」と言った。  
 普段は相棒達に心配などされるものなら、余計なお世話だと突っぱねるか自信たっぷりな台詞を吐くくせに、不二子が相手だとそうはならない。
「心配してくれたのッ?可愛いんだなァ、不二子ちゃんは」
「でも、結果的にこうやって手に入れてくれたから、要らない心配だったかしら」
「そんな事無い無い。不二子が心配してるってだけで頑張っちゃうからね」
 たわいの無い会話。ひとしきり続いた後、ルパンにとっては恐らく一番の懸念の対象である話題を切り出した。
「なぁ、不二子。今夜は?」
「・・・ええ、貴方が頑張ってくれたんだから、アタシもそれなりのお礼はしないとね」
「そうこなくっちゃッ」
 答えに満足して、シャンペンを更に一杯。酔いが回ってきたのか、左手が横の席に向かって伸び始めた。彼がこれしきの酒に酔うはずも無いから、根はしらふのまま酔いを繕っての遊びだったのか。
 とにかく、ルパンは不二子の肩を抱こうとした。が、果たされなかった。
 肩に手が届いてまさに掴もうとした時、腕の力が抜けた。
 わずかに焦るような表情を浮かべたのもすぐに消えて、半眼になったまま意識が遠のいていく。ゆらり、と傾いだ体がテーブルに突っ伏した。左手はなだらかな肩を滑り落ちた。
 
 動かなくなったルパンになんの驚きも示さず、不二子は立ちあがった。
 バッグを取ると、きびきびとした足取りで部屋を出た。ドアを閉める前、酔いつぶれたような格好で眠るルパンをちらりと見た。
「ごめんなさい。でも、まだ貴方のものにはなりたくないのよ」
 そう呟いた不二子は、ルパンの足元にある物を知らない。
 口をつけていないシャンペングラスだった。

 乗って来た車に戻って、キーを入れる。さてアクセルを踏もうかと思ったら窓ガラスを叩かれた。
「ルパン!!」
 一瞬混乱したが、眠らされたように見えたのはルパンの演技だったと気付く。
 このまま急発進しようか。追ってくるだろう。運転技術には相当の自信があるけれど、ルパン相手に勝負をしても、年がら年中チキチキレースをやってるんだから勝てそうに無い。
 ここは食事にでも行って、チャンスを伺ったほうがいい。
 観念した不二子は助手席を開けた。
「お忘れ物がありますヨ」とやけに慇懃に言って、ルパンは自分自身を指して見せたのだった。
「さて、どうする?」
「・・そうね、ご飯を食べてないから、食事に行きましょうか。いいお店があるのよ」
 まったくさっきの事に触れようとしないルパンに、内心ほっとしながら不二子はハンドルを切った。


 ゆっくりと時間が流れている。
 ショパンだろうか、何処かで聞いたことのあるクラシックのメロディーが、繊細な波となって空気を揺らしている。
 白身魚を食べながら不二子はちらりと目を上げて正面を見た。
 ちょうどルパンも不二子を見ていた。さっと交わされ、ぶつかった視線にわざと微笑んで見せる。
 相好を崩す男からまた皿に目を落として、もう一度考えてみた。

 彼女は知っていた。
 あれだけ頻繁に横取りができるのも、ベッドで待つ彼の指先ぎりぎりで気を変えて去れるのも、ルパンがときには黙認しているからだ。
 勿論、全てが全てとはいわない。今までのケースの八割はルパンの関知しない裏切りだったと思う。
 その程度はルパンからの自由が保たれていないと、やりきれない。
 しかし同時に、気付いているくせに彼女に宝を持って行かせる事があるのも確かだ。
 後で口うるさい相棒に何といわれようと、剣豪坊やにどんなクチを叩かれようと、この男は実にたのしそうに笑っているに違いない。
 まだヘラヘラ笑っているルパンの顔を盗み見て、不二子はそっと「変なの」と言ってみた。
 どうせ、聞こえているんだろうけど。

 それにしても、少々このソースは失敗している。せっかくの美味しい魚と合ってない。

 シャンペンを注いだ時、不二子の手がわずかに滑ったのをルパンは見ていた。それで、この女がまた企んでるのを知ったのだが、今回だけはこの最上の料理を逃したくなかった。
 ナイフで魚の身を切るたびに肩より長いくらいの髪が揺れる。栗色の髪の毛が細くしなやかに動く様につい魅入られていたら、その持ち主がこちらを見た。
 婀娜っぽい笑みに、例の光が閃いていた。
 それで、まだ何か企んでるなと分かった。本当に気が抜けない。

 デザートを食べて、食後酒を楽しもうとした時に不二子が席を立った。
「ん?どしたの」
「お化粧直しよ。まさか、お手洗いまでついて来るつもり?」
 軽く睨まれて、ルパンは手を振った。
「ハイハイ、どうぞ。オレは素顔の不二子がイチバン好きだけっども」
「残念ね、しばらく見せるつもりは無いワ」
 化粧品入りのポーチを取って、化粧室まで行く。
 ここのレストランを選んだのは、こういうこともあろうかと下見を澄ませてあったからだった。
 ここの化粧室からは、どの席からも見えずに外に出ることが出来る。
 コートはわざと受け取らなかった。バッグも、残しておいた。
 少しは警戒心を解けるはずだ。
 温かい室内から出ると、すうっと肌に寒さが染みとおった。
 もう三月とはいえ、冷え込む日はぐっと気温が下がる。吐く息さえ白いような気がして、薄いパーティドレスに包んだ身体を震わせた。
 隣のホテルと業務提携しているので、タクシー乗り場はすぐそこだ。
 いつもは一分と待たずに来るはずのタクシーが、今夜に限って遅かった。
 あまりにも待ち時間が長い気がして時計を見ると、実際はほとんど針が進んでなかったりして、それがまた彼女をイラつかせた。
 薄着の上、一刻も早く去って痕跡を消す必要がある。
 ところが、ターミナルに入ってきたタクシーは反対側の降車場に消えるばかりで、一台も戻ってこない。
 一体どうなってるんだろうと早足で降車場に回ろうとした時、やっと待ちくたびれたタクシーが登場した。
 流れるような運転で、不二子の目の前に停車した車のドアが開く。
 さっと乗りこんでシートに座ると、そこにコートとバッグがあった。
 と、発車してしまった。
「お客サン、どちらへ?」
 聞きなれた声がして、運転手がくるりと振り返った。
 
 
 脱力した。
 なんだか、凝りすぎの演出に文句を言う気も失せた。
 なんでわざわざコートとバッグを持ってくるのよ。
 何もタクシーを借りなくてもいいじゃない。
 しかも、運転手の制服まで着こんで。
 不二子は不機嫌そうにシートにもたれた。対照的に機嫌よくハンドルを握る運転手。
「行き先?任せるわ、好きにして」
「りょーかいッ」
 彼に任せて、普通の結果になることは稀だがここまで手を回すのだから、何か考えがあるんだろう。たまには気まぐれに任せて冒険してみるのもいいかもしれない。
 『で、いつも変な展開になっちゃうのヨ』
 自覚しているが、ついつい相手の出方を試してしまう。
 このルパンの出方はいつも突飛で、奇想天外で、非常識で、非道で、ふと残酷でありさえして、楽しい。たいがいこういう任せ方をして損するのは不二子のほうだったが・・・。
 今回はさらりとお別れするはずだったのに、予定が狂ってきたようだった。
 ふと気が付くと、人家さえまばらな郊外を走っていた。しかし、ルパンはブレーキを踏もうとしない。
 メーターが動かないまま、タクシーは走りつづけている。
「ねぇ、一体どこへ行く気?」
「山奥にな、い〜いアジトがあるんだ。人も滅多に来ねェし、ムードは最高だぜ」
 そしてニヒヒと笑う。さっきまであった気取った成りはうっちゃって、ご馳走を前にした犬みたいな顔が出てきた。
 これが素か。
 少なくとも女の前での素はこんなルパンのようだけど、そもそも「女の前で」の顔を素といえるのかどうか。ルパンの本心なんて、誰にもわかりゃしない。
「・・・アナタがそれじゃ、ムードも何も無いじゃないの」
 諦めたように呟いて反応をうかがったのだが、どうやら故意に耳を閉じたらしい。前の運転席からは、相変わらずニヒヒ笑いが続いていた。
 

 今夜も、あのまま行かせても良さそうなものだった。初めから不二子に贈るつもりで盗って来た獲物だから、無くなったところで金銭的な損害は無い。
 ただ、苦労したということが彼を執着させた。
 スマートに、さらりと盗むのをモットーとするルパンにとって不本意なほどに、このダイヤには苦労させられた。
 認めるのは悔しい。とはいえ頭の何処かでは否応無しに認識している事なので、はっきり言う。
 今夜のとっつあんは冴えていた。
 しかも何だか知らないが不運続きで、侵入経路は清掃のために閉じられ、抜け穴は偶然見つかり、飛び降りた窓の下はドブ川だった。
 最悪な事にゴミ・あぶらまみれになって岸に這い上がったところで、銭形警部と鉢合わせという事態が待っていた。
 泣きっ面にスズメバチ、だ。
 やけに冴え渡った銭形に小細工は効かず、へとへとになって逃げてきた。
 これこそ悔しいので決して認めないが、あの二人がいたらもっと楽だったろうに、という考えまでチラチラよぎった。
 そこまでして持ってきたダイヤを、みすみす渡してなるものか。何が何でも不二子には恩返しをしてもらおう。
「アーア、意地キタネェな、オレ」
 小声でそっと呟いた。
  

 郊外どころか、一軒の燈火も見えなくなって二時間。山道に次ぐ山道を走りきったところにそのアジトはあった。月明かりにボンヤリ浮かぶ、白亜の壁を持った別荘風の建物だった。
「確かにムードはあるのね」
「でしょッ? 車庫に入れてくるけどヨ、その前に軽くキスしちゃったり・・・!」
「軽いキス?そんなの知らないくせに」
 今にも押し倒してきそうなルパンをいなして中に入ると、少々埃っぽいものの意外に清潔だった。
 明かりをつけると、品のよい豪華さを持つ家具類が目に入った。さっと見回すと、コレクションの一部らしい彫像が二つある。
 雰囲気にそぐわない機械が隅のほうに転がっているのは、また何か改造して遊んでいた形跡。
 こんな山奥のアジトまで、ご丁寧にいろいろ仕掛けがあるようだった。
「まさか銭形は来ないでしょうね?」
「来ないヨ!」
「あら、何で?」
「今頃金庫の中ッ!次に鍵が開くのは明朝!」
「急に不機嫌になったみたいね」
「とっつあんのコトなんざ忘れちまおうぜ。あんなシツッコイ奴!」
 ふん、と反りかえるルパンが可笑しくてついつい笑みが溢れた。
 それで不二子の構えが緩んだのをちゃっかり見破っていて、
「さて、邪魔がいないってのが判ったら、そろそろお相手願っちゃおうかなッ」
「待って。香水忘れたわ」
 別にいいじゃねェか、と言われないうちにバッグから瓶を取り出す。自分に口を向けて吹きかける寸前、右手がずれた。
「わっ!」
 シューッと霧になって飛散する液体をルパンはまともに受けた。が。不二子の期待していた結果は起こらなかった。
「・・・ん?香水じゃねェのか、コレ。匂いが何もしねェなァ」
 自然な口ぶりを装ってはいるが、目元から溢れてくる『してやったり』感は隠せない。
 あっと、不二子が口元を押さえた。
 この男は、わざわざバッグをタクシーに持ってきたのだ。
 彼女の手を離れたバッグを一時的に所持していた。
「・・・全部お見通しだったってことか」
 不二子も往生際の悪い女ではない。潔く身を預けた。
 久しぶりに捕らえた蝶のあでやかさに口笛を吹きたい気分になって、ルパンはベッドに飛びこんだ。その油断がいけなかった。
 ゴチン、とはっきり聞こえた。
 柔らかく受け止めてくれるはずの枕に裏切られたルパンが、目をむいて気絶している。
 ひとつ深い息を吐いて、不二子はそのたわいない姿に微笑みかけた。
 枕カバーをめくると冷たい感覚が指を伝った。
 最後の最後で逆転してくれた功労者の、ガラス製ペーパーウェイト。
 ルパンには味わせなかったキスをひとつ贈る。

 外に出ると綺麗な星空だった。好色でも知られたオリオンが寝転がっている。誰かさんと被るようで、くすくす笑いがこみ上げた。
 今度は不二子が『してやったり』と笑う番だ。しかし、満足して車庫に回ったところで、勝利の心地良さはいくらか冷やされてしまった。
「何、これ」  
 タイヤの異常に気付いた。
 見事に四つともパンクしている。一目でわかる銃弾の丸い穴。
 そんなにまでして帰したくなかったのか、不二子の細工を先回り先回りして軽やかにつぶしてきた彼の防御策のひとつだろう。
 今までに比べると随分子供っぽい事をする。
 なんだかなぁ、と首を捻りながら携帯電話を取り出した。
 そう、帰る手段ならいくらでもある。少々の出費さえ厭わなければ、この地球上で迎えが来ないところなど無い。あったとしても、そこによほど巨額の宝が無い限り彼女とは縁がなさそうだ。
 番号を三つ押したところで手が止まった。
「ルパンは?」
 どうやって戻る気だったんだろう。他の車も、スペアタイヤも無かった山奥のアジトで、唯一の車を撃ってしまっては走れないではないか。
 不意に、また笑いがこみ上げてきた。
 ただし、今度はほくそえむとか満足するとかの笑いではなかった。ただ可笑しかった。天下のルパンが、後先考えずにタイヤを撃った。それが可笑しかった。
 
 ふっ、と足が玄関の前に立っていた。
 開けて中に入る。
 青みの混じった銀色が、部屋に満ちていた。蒼ざめたシ―ツが静かに光を反射して輝いている。
 その上で眠っているルパンがいた。
 窓から注がれる柔らかな明るさは彼の肩先で切れてしまって、寝顔は見えない。この部屋は、夜だというのに不思議な明るさをたたえている。動いているのは不二子だけだった。
 不二子はゆっくりとベッドの傍に腰掛けた。
「・・・そうね、今夜は一緒に過ごしましょう。
 今夜はあたしが勝ったけど、おあいこにしてあげてもいいわ。
 アナタがそんなに望むんなら・・・」
 暖かな体温を感じながら、不二子は羽毛の布団に包まった。
 これで、動くものは無くなった。

えーっと・・・・デジャヴなのこれ?(笑)まあ、お馴染みの光景ってことで・・・。
あたしのルパフジは幸せな結果になることが多いみたいです。添い寝に終わってるとはいえ。
せめて二次創作の中では幸せになって欲しいな〜と、願望も多分に入ってるんでしょうが・・。
オリジナルが不幸せって訳じゃないですよ?ただ、骨折り損が多いだけ、ちょっとジャマモノが多いだけ。
やいたさんのキリリク、キーワードは『デジャブ』でした。
リクエスト、有難う御座います。



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