一面の雪に。
もりあがった黒っぽい物体。
根城へ急いでいた五右ェ門は、足を止めた。つかつかと歩み寄って、その物体を引き起こす。
人体のようだった。
青白い頬を何回も叩く。
呼びかけてみる。
また頬を叩く。
それでも反応は無かった。
脈を診る。
額に手をやる。
生きていた。
彼に置き去りにすることなど出来やしない。ぐにゃりとした身体を背負い歩き出す。
若い娘だった。
吹雪も未だ止まない。彼は娘を背負って、来たときと同じ歩調で去っていった。
しかし、後に続く足跡は、さっきよりほんの少し深い。
そして舞台は彼の家。
あの娘は布団の上に寝かされていた。土間では何か煮ている五右ェ門。
ときどき障子の向こうを気にしながら、杓を動かしている。
もう八分がた雪は止んで屋根に積もった雪の落ちる音がする。
板間のほうで、何か動く気配がした。
彼は、つと目を上げた。
土鍋の中のものも出来上がったようで、椀によそう。
それを持って、ゆっくりと障子を開けた。
「起きられたか」
怯えた様子の黒い瞳と目が合った。敷布の上で上体を起こしている。ぎゅっと布の端をつかんでいるのは
恐怖からだろう。
安心させるために五右ェ門は笑いかけた、つもりだったがあまり表情には出ていない。
そこで、手にした粥を渡して、諦めたように出て行く。
二十歳に届くかどうかのその娘は、警戒して、暫く口をつけなかった。しかし、空腹には勝てず、吹き冷ましながら食べ始める。
すっ
障子が細く開き、娘が顔を出した。
「有難う・・・御座いました」箸と椀をそろそろと出す。
「特に大したことはしておらぬ故、そのように畏まらずとも・・身体は大丈夫か?」
「はい」
「ならばもう雪も止んだことだ、帰れ召されよ。親御殿が心配されている」
「本当にお世話になりました」
丁寧な礼をして出て行く。
峠の向こうに消えるまで見送る五右ェ門。
軋む戸を引いて中にはいると、上がり框に腕時計がある。
彼女の忘れ物だ。
竈の傍の巾着に仕舞う。
そして、彼女の椀を洗いに、瓶を取りにいった。
次の日、再び五右ェ門の家。
あの娘が戸を叩く。
住人が留守なのか、応答は無い。座り込んだ彼女に声をかける者がいた。
「どうしたのだ?」
「石川さん! 良かったです、会えて。これ、昨日のお礼です」
差し出したのは、封筒とプラスチックの容器だ。
「それから・・・」
更に続けようとした彼女を手で軽く遮って、五右ェ門は中に入る。
「茶でも飲んでいくか?」
迷っていた彼女も、山道を上がってきて草臥れたらしい。
促され、靴を脱いだ。
竈の近くから、件の腕時計を渡す。彼女の顔がほころんだ。
「すみません、お手数かけました。心配してて・・・」
「やはり、そなたのものか。ところで、あちらは有難いのだが、これは」
言いにくそうに語尾を濁して、封筒の方を差し出す。
「本当に些細な事しかしておらぬから。受け取る訳には、な」
「・・・分かりました。母に伝えておきます」
彼女が帰った後、五右ェ門は容器に入っていた煮魚を食べる。
目を細めたようだった。
それから、彼女はその道を通るたびに挨拶するようになった。
2回に一度くらいは茶菓をつまんで談笑する。
そもそも、閑村に住んでいる彼女は、学校への早道としてこの道を利用していた。
獣道のような所だから、ここに一軒だけ民家はあっても住人は誰もいなかったそうだ。
4回目位に彼の家へ上がったときだ。
「俺と・・・関わらぬ方が良い」
「何故?」
「言えぬ」
「もしかして、迷惑でしたか?」
「そんなことは無い!!」
無言の時は続く。
ぽつりと言った。
「俺は・・殺し屋だった・・から」
「うそ」
そんな冗談、という風に眉を上げた。
「ああ、うそだ」
俺がもし、ホントウだと言っても信じないであろう?
五右ェ門は心の中でそう思う。
茶を飲み終わった彼女は、いつものように帰り支度を始めた。
戸口に出て、送る五右ェ門。
「もう、来ちゃいけませんか?」
答えられない。肯定しなければならないのに。
彼女は答えを待っている。
佇む二人に、右側からナイフが迫る。
一振り。二振り。三振り。
それらが五右ェ門の背中に突き刺さるかと見えた寸前。
彼の腕が跳ね上がって、三振りの凶器を払い落とす。
左手で隣にいた娘に当て身をする。雪煙の中に倒れる彼女。
「すまぬ」
鞘を捨て、愛刀を構えて。油断無くあたりを見渡す。
ちらつく雪。
その向こうには灰色の影。
五右ェ門と、かやぶきの屋根を中心に、物騒な男女が包囲していた。
前方で20人。全体で80人位か。
隙無く構えながら、ちらりと後ろを見る。
横たわる彼女の身体。
「石川五右ェ門だな?」
野太い声が響く。
「そちらが先に名を名乗れ」
「強気だな。よほど腕に自信があると見える。だが、1対82のお前は、籠の鳥同然。」
「だとしても、お前のような下衆にやられはしない」
そして、唐突に左へ奔った。
虚を突かれて、向かってこられた方の男は何も出来ない。
鳥は、放たれた。
五右ェ門に引きずられるようにして、円は涙形となり、陣形は完全に崩れる。
「逃げるのか?!」
という嘲りにも振り返らず、彼は走る。
走る。奔る。走る。奔る。走る。奔る。
彼女の身の安全と、つまらない己の姿を見せたくない意地のために。
雪を蹴散らす素足に、氷が張り付く。
融ける霜に体温を奪われても。
ハシル。はしる。ハシル。はしる。
気絶させた彼女。
乱暴し、雪に放り出した俺を嫌いになってくれ。
そう思えない自分が悔しい。
本心では、会いたいと願っている俺がもどかしい。
軽やかに雪面を踏む五右ェ門に対し、追手は無残にはまる。
それでも、スノーモービルは五右ェ門の速度に勝っている。
肉迫する銃弾。
サイレンサーでもつけているのか、こもった銃声。
熊笹を踏みしめ、林立する楢を避けて、五右ェ門の足は冷たい大地を踏む。
エンジンを喧りたててスノーモービルが迫ってきた。
銃撃を弾き返しつつ、坂を駆け下りる。
みるみる加速度をつけて来るスノーモービルが、五右ェ門の横に並んだ刹那、斬鉄剣が薙ぎ払われた。
スノーモービルは真っ二つ。
正面に生えていた木をかわし損ねて、無惨な有様を呈した。
まだ五右ェ門は走っている。80人を引き連れて。
やっと立ち止まると、止まりきれなかった者どもが、遮二無二突っ込んでくる。
それらをとりあえず峰打ちにしとめると、今度は自分から追っ手に飛び込んだ。
忽ち飛び掛る、銃弾の嵐を跳ね返す。
人海戦術ともいえる攻撃には、峰打ちにする余裕は無い。
刀が一閃する。
半径一メートルにいた者が腕や、最悪肩を斬られて倒れる。
マシンガンが火を噴く。横に飛んで避ける。
マシンガン、一刀両断。
流れ弾に当たって、一人死んだ。
ナイフが空気を切り裂く。それを斬鉄剣が斬る、甲高い澄んだ音。
何人か泡を吹いて逃げていく。
あえて追わない。
五右ェ門が跳躍した地面に、鎖のついた刃が幾本も突き刺さった。
ヘリの音がする。
右手前方から、上空から、すぐ上から。
ヘリからの落し物。
たくさんの爆弾。
空からの銃弾。
爆発に巻き込まれ、また何人かが戦闘不能に陥った。
爆風に吹き飛ばされながら、五右ェ門はもう一度走る。
次々に起こる爆炎に、逆光で照らされた五右ェ門が黒く浮かび上がった。
目の前の岩に駆け上がる。
打ち鍛えられた刀身に、ヘリの機体が映った直後、低空飛行していたヘリを正面から切り下げる。
鋼鉄の手応え。
バラける機体。
地響きがして、バズーカが発射された。岩から飛び降りてさけると、また銃弾が襲う。抜き身の愛刀を持ったまま、追っ手の群れを駆け抜けた。
バズーカも哀れ、木っ端微塵。
斬鉄剣と、仲間の撃った弾で、何人か。
ここまで来て、切り札を使う気になったらしい。
ガス弾を撃ち始めた。マスクを着けた者、身を引いた者が助かり、逃げ遅れた者は。
その中に五右ェ門は入らない。
停滞性のガスが届かない、高みに身を躍らせる。風上に回った。
そこで撃っていた一人。
柄で鳩尾をしたたかに突かれ、気絶する。
やっと適わないと悟ったのか、逃げ出す生き残り。自分たちで作った動けない人体を、置き去りにして。
五右ェ門としては、急所をはずして斬ったつもりだから、死んだものはいないはずだ。
もう二度と立てなくなる者がいるにしても。
勝手に襲ってきた報いだと思う。
しかし。
連中同士で共食いした者はどうにもならない。
足元に、絶命した体が転がっていた。
「嘘ではない・・・・・・」
それは、彼女への贖罪意識だったのか。
眠っている娘を背負い、山道を歩く五右ェ門。
点々とついた赤い染み。
彼女の住む村が、夕焼けに照らされていた。
閑村らしく、人通りの少ない表通りに、剥げかかった看板がある。
『民宿 荻野』
そこに入って、一泊借りる手続きをする。足を挫いたと、適当な言い訳。
料金を前払いし、案内された一室に彼女を横たえて、五右ェ門は静かに宿を出た。
二度と、戻らない。
既に伝説的な(?)和祭りへ出させて戴いたもの。これ書いた時は、ぼこぼこ改行する派だったらしいです。ちょいと古いものなのでかなり恥ずかしいんですが、こんなモン書いてた馬鹿も居たんだな〜と思ってくだされば幸いです。