確か、あの日も雪が降っていた。
俺は相棒と山小屋で一夜明かしていた。外は猛吹雪で、とてもヘリなんか飛べなかった。
ラーメン温めて、ひとしきり冗談を言い合って、それであいつは寝てしまった。着いた時から燃えつづけている火のせいで、小屋の中は暖かかったが戸外じゃ気温はそうとうに低かった。だから、凍死しないために俺達は交代で火の番をすることになっていた。
少しうつらうつらしながら、俺は薪を二・三本くべた。
どれぐらい夜が深けたか判らない。吹きすさぶ風の中に大勢が近づいてくる足音を聞いた。空耳かと思ったのは、まさかこんな吹雪の山奥で襲われるなんて信じられなかったからだ。だが、それは聞こえた。
俺は当然あいつを起こそうとした。呑気なもんだったぜ、あいつの寝顔は。だが、揺さぶっている間に音はますます近くなっていたんで、起こすのを諦めざるを得なかった。
マグナムを構えた俺は戸口ににじり寄った。まっすぐ俺達に近寄ってくる。
物音は、小屋の目の前で途絶えた。
「誰だ!」そう言って、俺は戸を開けちまったのさ。
途端に物凄い冷気が雪崩込んできた。並の寒さじゃない。頭がガンガン鳴り、手足が重くなって、意識が薄れていった。
気が付いたとき、目の前には女が一人いた。真っ白の、薄い小袖を着て、着物よりも白い肌を持っていた。顔立ちは不二子とは違う次元の美人で、そして頬がこけていた。
白尽くめの女のなかで、黒々とした滑らかそうで腰まである髪と、同じような深い漆黒の瞳だけが浮き上がって見えた。
その女が手招いていた。何で行く気になったのかは今でも分からねェ。兎に角俺は女と出ていった。
吹雪は、止んでいた。
その時点で何となくこの女の心臓が動いていないことを感じていた。たびたび闇にかき消されそうになる女の後ろについて歩きながら、俺は少しだけ小屋に残した相棒のこと、それと、五ヱ門のことを考えた。
きっと今頃この山の麓のアジトで気を揉んでいるだろう。今回の作戦に必要な或る物を積んで二時間ぐらい前には着いている筈のアジトで。急の吹雪で電波も飛びやしなかった、だから遅れることは連絡していない。心配のあまりこっちに探しに来ないでくれと願った。
しばらく歩いていると、夜が明けた。
一面の銀世界という言葉が正に相応しい所だった。吹雪いていた事が嘘だったかのように空は薄い青で、俺から見える限りの大地は全て白。それ以外の色は存在しなかった。日光は少しも温かくなく、それだけに澄んだ空気の冬独特の張り詰めた寒気が際立っていた。
寒さで感覚が無くなった手足を引きずりながら、俺は女の後をついていった。足跡の無い、雪原を。
雪の平原を歩いていく女は、音を一切立てず、滑る様に、雪の上を歩いていた。
その横に、真っ白な狼がついていく。あまり白いんで、雪と見分けがつかなかった程だ。
導いたのは凍てついた洞穴。
アナタが欲しい。
女は2度繰り返した。
警戒した俺に構わず、女は奥へ進んで行く。
「おいでなさいな・・・ホラ見て、綺麗でしょう?」
洞窟内の雪に掘られた棚状のくぼみ。そこに、虚ろな眼窩が並んでいた。
いや、八十余りのされこうべ。
丹念に磨かれて、薄氷で覆われていた。ぽっかりと開いた穴が際立つ。
差し込む日光をぴかり、ぴかりと反射しながらそれらは無言で並んでいた。
女が歌うように言った。
「八十七個のされこうべ、ひとおつ足りない、アナタで最後」
「狙いは俺か?」されこうべ達から目を逸らして女に向き直った。
こくん、とゼンマイ人形のように頷いた。
女はふらふらと近寄ってきた。そして、俺の首に手を伸ばした。
撃たなかったわけじゃない。だが、マグナムから発射された弾丸は全て女の体を突き抜けた。
俺の焦りを見透かしたように、無駄よ、と女が俺の首に指を絡ませて薄く笑った。ひんやりとした、白魚のような指だった。
それが、俺の咽喉にゆっくり食い込んでいった。腕をつかみ引き剥がそうとしたら、女がびくんと痙攣したようになった。それで、俺は手に力をこめた。
「アナタって温かいのね」淡々と女が言った。
「死んでたまるかよ」答えた俺の声がかなり擦れていたのを覚えている。
女の口調が急に燃え上がった。
「憎い。まだ血の通うアナタが憎い」
締めつけていた女の指が更に曲がった。そして、思い直したのか、指を緩めた。
俺はその隙に逃げようとしたのさ。情けねえが。
だが、女の一言で俺は動けなくなった。
「アナタといたもう一人のヒト、大事なヒトなんでしょ?」
女が畳みかける。
「もう少し寒くなれば凍死するかも、ね」
女の眼球が紅に染まるのを見た。
「ねえ、どうする?」
女の血の気の無い唇から、やけに紅い舌がぬめりと艶めいた。
俺が黙り、女が黙った。そして、沈黙。
『その時間は短かったようだが、永遠に感じられた』なんて月並みな台詞を吐く気は無い。
確かに俺と女の間に流れていた時間は相当な長さに及んだ。お互い、ぴくりとも動かなかった。ひたすら相手の出方を待ち、無言の駆け引きを続けていた。
先にルールを破ったのは俺のほうだった。
「二つ聞きたいことがある」
女がかすかに首を縦に振った。
「あんた、なんでされこうべなんかを集めてる?」
聞いて欲しかったのだろうか、女がにんまりと笑った。
あたしはね、盗賊の頭の娘だった。
畜生働き。
目星をつけた商店に押し入って、下男下女から主に至るまで家人を皆殺しにして盗る手口。
いつもそうやって千両箱や、綺麗な錦なんかを持って帰ってくれた。父はあたしや妹の土産にするお内儀の晴れ着を、血染みがつかないように気をつけて、油紙にくるんできた。
それは、どこにでもいる町娘の小袖なんかより、ずっとずっと綺麗だった。
あたしが16の時だった。
父が押し込んだのは寺。なんでも近く高位の侍が葬られるそうで、お布施をあてにしたんだけど、住職は大して金を持っていなかった。
逆上した父は、庫裡に寝ていた小坊主を片っ端から殺して、住職も突き殺した。手下に命じて火を放ったあと、朱に染まった勤め装束のまま帰ってきた。
刺された住職は、炎の中から自力で這い出したそうね。門前町の誰かに助けられたものの、結局その住職も怨詛の言葉を吐いて、息絶えた。
その日から、いつも上手くいっていた勤めが躓きだした。しかも、手下の一人が密告したと見えて、遂に奉行所の捕り方が踏み込んできた。
でもね、奴等が踏み込んでくる前に母は梁にぶら下がり、父は腹をさばいてた。
残されたのは、あたしと妹のなつ。
住職の呪いはこれで終わりじゃなかった。
なつが流行り病で死に、体が腐って骨だけになった。だけど、骨になってもなつはあたしの妹。
可愛かったよ。
まもなくあたしも同じ病に罹って死んだ。死出の旅には必ず持っていこうと決めたなつのされこうべを抱いて。
それでもあたしはなつに会うことが出来なかった。あの住職は、一家のうち最後に死んだ者をこの山に閉じ込めたから。
ここをでる方法は一つ。されこうべで数珠を作れば、結界は破れる。
なつのされこうべで一つ。あとの八十六個はここに来る人間を遭難させて集めた。あと一つなんだよ。あたしは二百年待った。
あたしはなつに会いたいの。
「それからもう一つ。何故・・・俺を連れてきた」
俺じゃなくても良かった筈だ。単なる数珠の頭数を揃えるだけなら。
何故だ?
女が目を伏せた。女の唇が柔らかく動いて、言葉を選び出す。
「アナタが、優しそうだったから・・・」
意外な答えだった。
俺じゃなく、相棒にしばしば使われる形容詞。
ルパンはきっと、女を口説くために優しさを見せるのだろう。現に、タイガー兄弟とやりあったとき、奴は兄に弟を、弟を兄に殺させる選択をした。奴はその為に、完璧な計画を立てていた。
結局のところ、俺のほうが奴より甘いのかもな。
何も知らず、凍死寸前で眠り込んでいるルパンが恨めしくなった。
だから・・・と呟いて女がまた手を伸ばしてきた。俺だってそんなお人好しじゃない。こんなところでくたばるわけにはいかなかった。銃を構えた。
女が嘲笑を浮かべたが、狙ったのは女じゃない。一番小さなされこうべだ。
「俺がいなかったら、誰がルパンの尻拭いするってんだ」
マグナムの引き金を引いた。
至近距離で弾はあの骸骨、妹のされこうべに当たった。
途端、女が悲鳴を上げ、髪が抜けて、それがバサバサ束になって落ちるたびに体が透き通って雪のように解けていった。
悶えながら恨めしそうに手を伸ばしてきたものの、これも俺に届く前に消えちまった。
最後の髪が落ちたとき、そこには大量の髪の毛以外何も無かった。
「あたしは・・・まだ逝けない・・・あと、ひとつ・・・なんだから・・・」
声だけが、氷室の中に反響し、それすら消え入ってしまうと、さっきまで女のいた場所には空白しかなかった。
だが、後ろの棚のされこうべは相変わらず無言でこっちを見ていたし、弾の当たったあの妹の物もあった。
そのされこうべを、俺は見ちまった。
古い骨なんてものは、マグナム弾をぶち込まれたらそこが砕け散って、貫通するはずだった。
しかし、あれは、弾が食い込んだだけ、しかもそこから真っ赤な血がたらたらと流れ出ていた。
その血で氷の床に、血溜まりが出来ていた。
真っ白の頭蓋骨から、赤くどろっとした血は止めど無く流れ続けた。
血。
鮮血。
艶やかな色の血。
俺はそこから何処をどう走ったのか。ふと気が付けば目の前に相棒のいる山小屋があった。あの夜足した薪が熾となって燻っていた。
ルパンは体温がかなり低かったが無事で、俺は火がたまらなく懐かしかった。
凍えきった体はなかなか温まらず、もう一度火を起こした土間の囲炉裏で毛布に包まって震えていた。
そのころだったな、お前が蒼白になって迎えに来たのは。吹雪の猛威をラジオで聞いて、心配になって捜しに来たんだったな。
まったく、お前らしいぜ。
一晩中捜してたのか?
―――そりゃご苦労なこって。
俺があの時、経験した事はコレで終わりさ。
「で、何故今になってこの事を話す気になったのだ、次元」
黙って聞いていた五右ェ門が目を上げて問うた。
「これさ」そう言って渡したのは新聞。それの一角にある記事を示す。
『槍ヶ岳山中で大量の人骨発見
長野県槍ヶ岳の山中で23日、人の頭部と思われる人骨が大量に発見された。そのほとんどは風化が激しく、正確な数はなおも調査が必要である。いずれも身元不明で死亡した年代・性別などにもばらつきがあるため、警察当局では行方不明者のDNA照合を進めている模様。また、これらと共に長さ50センチあまりの髪束が発見された』
ざっと目を通した五右ェ門、「つまり、」続きを次元に促すように一呼吸置く。
「されこうべが八十八個になったって事だろうよ」次元は、噛み締める様に答えた。
「哀れだな」
「88人の犠牲者か?」
「いや・・・女だ」
「俺だってあのとき本当に女に会ったのかは分からねえ。ルパンに言ったって、ま、本気じゃ信じてくれないさ。・・・・なあ、五右ェ門。冬の山ってのは幻を見せるのか?」
その後髪束は、ある寺の住職が引き取って塚をつくり供養したという。
今見ると、顔から火が出そうです。まだ書いてから一年もたってないのですが、その間に随分書き方が変わったので・・・
この話は、怪談っぽいものが書きたかったのが発端。主人公はモチロン次元で!!
タイガー兄弟の話、好きなんです。自身が双子だから?イヤイヤ、次元とルパンの相棒っぷりが最高なのですよ。(はあと)