紅塵の街



 
 これほど大きく紅い夕陽は見たことが無かった。
 地平線を焦がしながら、斜陽はゆっくりとその身を隠そうとしている。
 終末の光が銭形の立つ岸壁を、そしてその下の街を同じ色に染めた。


 眩いばかりの紅に輝いた街は、この砂漠の中で孤独に存在していた。
 石垣も塀も無く、ただ朽ちかけた木の柵が巡らされた程度なのに、そこには確かに侵入者を拒絶する空気があった。
 中に入るには道路はただ一本。その上を時折、ダンボールや白い袋を積んだ車が行き交っている。
 気の早いネオンが安っぽい光を放ち、どこからか突風が吹きすさぶその街を、銭形はじっと眺め降ろしていた。
 絶景を見ても、廃墟を見ても、思い浮かぶのはただ鮮やかなジャケットのみ。
 影を掴むことすら難しい仇敵に近づき、そして捉える。その瞬間が近づくたびに感じる高揚感はこの男を掴み、虜にし、走らせてきた。昼も夜も無く、陸の上も海の中も彼は進む。ただ独りを見据えて。
 地の果てすら踏み越えてきた彼が今いるのも、地の果ての彼方といえるかもしれない。

 やがて銭形は鳥瞰を止め、車に乗るために崖に背を向けた。
 と、歩いてくる人影がある。
「銭形」
 平常時でも押しのきく低い声。誰かを悟って銭形の動きがはたと止まる。何故だ、といぶかしむより早く体が警戒の態勢を取った。右手をコートの裏に滑り込ませた動きの素早さが、並みの警官でないことを物語る。
 同じく低く彼は答えてやった。
「何の用だ、次元」
 銭形の警戒を知らぬ振りして次元は横を通り過ぎ、崖の縁に立つ。ダークスーツのジャケットは、紅い光を浴びて少し白っぽく見えた。
「わざわざ捕まりに来たわけじゃねェだろう」
「話をしに来たのさ、あんたと」
「ルパンに聞かれちゃまずいってのか」
 この問いに、後から来た男は肩をすくめることで答えた。問いを重ねる。
「で、何だ」
 やや間があった。言いあぐねて唇を結んだまま、眼下を見つめる。
「・・・行くのか、あそこへ」
「愚問は止せ。じゃなきゃ俺がここに来るか」
「どうしても?」
「貴様らがいる限りな」
 お前さんの登場で、いよいよ決定的になったわけだ。と言ってやると、いつの間にか煙草をくわえた次元はふいっと煙を吐いた。
「とっつあんよ、俺は警告に来たんだぜ」
「貴様の警告なんぞ聞く気も無い」
「まァそう言うなよ。今回ばかりは本気で心配してンだ」
 心配だと?つばに隠された目を見透かそうと言うように、銭形は次元の横顔を見る。
「なんでお前が心配する」
「・・・ヤバイんだよ、あそこは。なにせ外国人と警官を見たら片っ端から殺っちまう」
「だが、ルパンは居るんだろう。貴様らだって外国人だ」
「ああ、そうさッ。しかしよ、銭形のとっつあん。あんたも余所者で、悪いことに警官だ」
「素性をばらさなきゃいいだろうが」
「分かるさ、簡単だ」
 さも当然と発された言葉に、特有の皮肉な微笑をさっと浮かべ次元は断定する。
「警官は目つきが悪い」
「目つきが悪い連中ならごろごろ転がってるだろう」
「違う。犯罪者は右手とコートのふくらみを見て、ナイフと銃を探すンだ。警官はな、いきなり人の顔を見る。まず目、次にほくろ。」
「無意識のうちに、か・・」
 よく言われることではあるが、同僚を含め本人達はそんなに睨んでいるつもりは無い。しかしつい行き交う人の顔をチェックしているのも確かである。
 そういえば交番勤務の頃、毎朝シワの一本まで覚えたはずの指名手配犯の写真を、一枚一枚とっくりと睨んで巡回に出て行った老巡査がいた。
 銭形の仇敵にはそんな用心など、底の抜けたタモも同然に役立たずだと分かっているつもりだったが、あの交番での儀式につき合わされて染み付いたクセは抜けない。
「もう一度言う。あの街はやめろ。あんたが太刀打ちできる世界じゃない」
 次元の声は、ひどく重々しく悲壮で、破滅の託宣を下す司祭を思わせた。

 夕陽が沈む。

 光の角度が変わり、帽子の影になっていた二つの目が見えた。眩しさに細めながらも刺す様な紅い光をまともに受けている目だ。それは、次の銭形の言葉に大きく見開かれた。
「見くびるんじゃねェぞ、次元」
 次元を驚かせたのは内容ではなく、凄みである。長年暗黒街で恐れられてきた彼すらひやりとなる凄みを携えて、銭形は続ける。
「俺が何年貴様らを追っていると?同じだけ俺から逃げ続けて、まだ分かってねェのか。
 いいか、その程度の脅しでのこのこ帰るほど、俺は甘くない」
「・・・」
 次元は何も言わない。
 本来ならばここでコートの中の手錠を取り出すのが筋なのだろう。しかし何故かその気にはならなかった。
 現行犯で逮捕、というのは一つの理想ではあるが、実際は現実主義者の銭形がそんなことにいつもこだわるわけではない。だから理由はもっと別のところにあるはずで、よく分からないがとにかく無粋なことをしたくなかった。
 わざわざ自分に会いに来たことが、可笑しかったのかも知れない。
 ざ、と銭形は足を踏み出し、車の方に降り始めた。慌てたように次元が紅いトレンチコートの後姿を追う。
 自分の影も、奴の影も随分長く伸びている。肩を怒らせ襟を立てたうえに、コートが風に吹かれて膨らむので、その影はユーモラスで次元のものよりかなり大きい。
 針金のようなもう一つの主はひとつふたつ足踏みして、つかえたような声で呼び止めた。
「ルパンは・・・いないぜッ」
「嘘か、今更」
 銭形は足も止めず、首も回さない。
 焦りが次元の口をぺらぺらと回した。
「本当はな、あんたをあそこに放り込もうと思ったのよ、ニセのタレこみでな」
「じゃなんで来た」
「・・・どう考えてもニ三日どころじゃすまねェ。ヘタすりゃ永遠にあの街の土ン中だってあり得るんでね。考え直して止めに来た」
 ほう、寝覚めの悪い思いはイヤだって訳か。

 くっと、のどの奥で笑う。
 あの電話が作り物だと?俺が確認も取らず、一目散に駆けてきたと?猪突猛進、無我夢中の銭形警部って訳だ。馬鹿にしてんのか。
 まったく動じず足を踏み出すと、次元はその考えを読み取ったらしい。
「ルパンの手下が世界中に何人にいると?確認しきれたとは限らねェだろう」
「情報源は警官だ」
 確固たる自信を、次元は鼻で笑った。
「警官?警官に紛らすことくらいお安い御用だぜ」
「だが、俺はそいつがガキの頃から知ってるし、その父親は俺の元上司だ」
「なぁ、とっつあん。ルパンの変装術はどんな下っ端にも叩き込まれるんだ」
 ほとほと困った口調で次元が帽子に手をやる。丁度吹いてきた突風は彼の帽子をさらい損ねたようだ。
 変装と聞いて銭形の足が留まった。
「貴様はそいつの変装を見たのか」
 確かに、少し厄介かもしれない。ルパンが強烈に自負する変装術は銭形でも手を焼くところだが、しかし最近ちょいと溺れてはいやしないか。
「見たさ。完璧だった」
「俺に見破れないほどに?」
「ああ」
「歩き方も、首を回す癖も?」
「ああ。しかも煙草は一番右端のを」
 また風が吹いて、次元は再び帽子に手をやった。直前の言葉がもたらす銭形への影響を期待しているだろうに、その表情にはまったく動きが見られない。
 もし奴だったなら、あの忌々しい良く動く口を吊り上げていただろう。いつものように俺が歯噛みして悔しがるのを、最大級のデザートだと思っていやがるから。
 ただし、いつもならば。

 そいつは俺の部下の寺田だな、と銭形は小さく呟く。そしてわざと大きな声で、
「父親が警官で、首を回す奴っていったら寺田だからな。そんなことまで調べてやがったのか」
 と揶揄するような意地の悪い響きに、次元がはっと身をこわばらせた。
「なんだと」
「・・・残念だな。本当の情報源はチンピラだ」
 あざ笑うかの勝利宣言。次元の目に影が降りる。
 右手が丁度愛銃を握り締めた形に止まり、数瞬の後にぎゅっと架空のグリップは握りつぶされた。
「さっきのははったりか、銭形・・・」
「そういうことだ」
 今度こそコートのすそを翻し、去ろうとした銭形は物音を聞いた。
 耳慣れた物騒な音。再びコートの裏に手をやって向き直る。
 目の前に、マグナムが突きつけてあった。

 また風が吹く。今度はつばがはためいても一瞬たりとも気を取られず、目の前の男は静かに、それこそどんな突風でも動かせぬほどの厳かさで立っている。
 彼の黒尽くめの扮装は、この西部劇の地で割り振られた『警官を撃つ悪役』という役柄にずいぶんとぴったりだ。
 だがしかし、並みの悪役ならこんな顔はしていまい。夕焼けの残光の下で躊躇いも無く銃を向けたこの男は―――不思議なことだが―――哀しげだった。
 突き刺さるような視線を離さず、身じろぎすることも許さない殺気を放ち、氷で出来た能面の如く無表情で。なのにひょろりとした立ち姿は悲哀とすら呼べるものをまとっていたのである。
 銭形にはその理由が分からなかった。
 朱に染められた世界に、決して染まることのない黒、という対照が錯覚を起こしたのか。

 最初のように低い声が喋っていた。
「今、あんたを行かせると計画が全部おしゃかだ」
「無駄はやめろよ、次元。この俺に戻れ、と?」
「こんな脅しが効かないのは分かってる。だから」
 一瞬彼は言葉を切り、続けた。
「だから、脅し以上のことも辞さないぜ」
「やれるものならやってみるんだな」
 銃を向けた方がくっ、と奥歯を噛み締める。次元は容易に引き金を引いたりはしない。
 そこにルパンが絡んでいなければ、だ。
「・・・丁度いい。貴様と勝負したいと思っていた」
「勝負?」
「貴様が負けたらそいつを俺に渡す。俺が勝ったら大人しく道を譲れ」
「おい・・・あんたが負けるって選択肢はねェのか」
「負けないからな、俺は」
 あながち冗談とも思えない口調で銭形が答える。それに対して、軽く肩をすくめたものの、マグナムの照準だけは一ミリも動かない。
 じっとりと汗が銭形の額ににじむ。
「生憎だが、勝負なんて甘い考えはナシだ。・・・行かせねェよ」
 同じ言葉ばかりを繰り返す。
 ここまで本気になって止めて、あの街で何をやらかす気なのだろうか。

 夕陽が沈む。

「・・・どうしても撃つか」
「行こうとするのなら」
「そこまでして何故止める」
「ゴロツキに殴り殺されるンなら、一発の方が楽だろう」

「そりゃどうも。だが、そんな気遣いをしてくれる忠告しておく」
「何だ」

「ルパンが生きている限り、俺は死なん」

 ゴロツキにも、貴様にも、国家にも。
 誰も阻ませはしない。

「奴を捕らえて、絞首刑にしてやるまでな」

 ふっ・・・、と空気が動いた。
 張り詰めた感情が瓦解したのは、折りよく吹いてきた突風のせいだけではあるまい。
 ゆるゆると次元が手を下ろす。つられて銭形は手錠にかけていた右手をだらんと下げた。
「・・・考えてみりゃ、とっつあんの生命力ならミサイルだって殺せねェな」
 息をついて、次元が背中を向けた。
 銭形の横を通り過ぎざまにぽつりと漏らす。
「誰かが追っかけてくれねェと、つまらねぇんだと。あのワガママ坊やは」
「じゃ、何故来た」
「ここを限りにとっつあんの消息が途絶えたりしちゃ、困るからだ。・・・呆けたようなルパンは見たくない」
 スリルに憑かれた怪盗であって欲しい、と吐露した次元の口吻はまるで、銭形がいなければあのルパンは存在しないとも取れたが。
「俺が消えりゃあ、万々歳だろう」
 銭形は頭を振って即座に否定した。
「仕事の邪魔がいなくなるんだ、絞首台に送られる可能性もなくなる」
 奴を逮捕できるのは自分だけだ。長年追い続けた経験から生まれた自負は、虚勢でも妄想でもなく確固たる信念ともいうべきものだった。
 むしろ、「事実」だ。
「・・・まぁな。俺は確かに嬉しい」
 苦笑して立ち去りかけた次元に、ふと言ってやりたいことがあった。

「ルパンは知ってるのか」
「いや、これは俺の独断だ」
「多分な。もし、ルパンが来たら『中で待ってる』と言っただろうから」

 次元は振り返り、銭形をまじまじと見る。
「驚いた、奴は昨日同じことを言ったぜ。独り言だったが」
「なら迎えに行ってやる、と伝えてくれ」
 彼は軽く帽子に手をやってから、今度こそ本当に歩き去った。


 ルパン。次元。そして銭形。
 俺たちはなんと因果な関係なものか。
 たまに、この男と銃と手錠ではなく酒を交えて話したいと思う。
 ルパンの居所をやっと掴んだのにアジトはもぬけの殻だったとき。此の国から彼の国へ、機内で仮眠をとる日が続くとき。
 俺が追っているのは結局のところ、ルパンの夢なのかもしれないという虚脱感が銭形を襲う。ルパンという存在は幻想に過ぎないのだ、などと他愛もない滑稽な、空しい思いつきに憑りつかれ、寒々しい一隅を心に抱いて眠る。
 だから、似ていると思うのだ。
 ルパンとの物理的な距離の差はあるにせよ、この男もまた同じ、ルパンの存在に惹きつけられているから。
 光が輝けば輝くほど、影は更に濃くなる。
 黒い影を演じることで、この男もルパンという夢を守っている。時折、そんな風に思うのだ。
 なんだ、これも俺の幻想かと思うことも無くは無いけれど。



 銭形は車に戻り、道を下る。
 夕陽が沈んだ。


 
 初めて銭形登場。
 とっつあん、ゴメンよ(^^A;)だって書くのが難しいんだもの。
 銭形は5人の中で一人異色のメンバーですね。なにせルパンの敵なんだから。
 ルパンが警察の包囲網を軽々と飛び越えて、スマートに盗むってのは胸がすく展開であたしも大好きです。
 でも、銭形を狂言回しには使いたくない。原作の幾つかの話、アニメの「名探偵空を行く」に見られるように、銭形は敏腕刑事で腕も立つんだ、と思ってます。
 なんだかんだいって一番多くルパンを逮捕したのは銭形ですから。執拗さだけじゃ我らがルパンは捕まらない!
 
 ま、そういう立場で今回は銭形を格好よく書きたかったって訳です。
 が。出来上がったらあんまり格好よくないような(泣)
 次元と対決させてみたら中途半端にカッコだけつけた銭形になってしまいました。
 ここからちょっとMy設定。
 銭形とルパンはお互いがお互いの存在意義みたいなところがありまして、銭形は人生そのまんま。ルパンは銭形に追われることが一番のスリル。
 危険に向かっていって、克服することに第一目的を置いているようなルパンですから、極言すれば銭形=生き甲斐とも言える。
 しかし銭形は自分が追うのに心魂傾けてますから、ルパンが同じように追われたがっていることなんて考えつきもしません。

 そーゆーようなことを練っていたらこの話のきっかけが出てきました。当初全く別の結末だったのを直したので、着想から一ヶ月くらいかかってます・・・。

 次元は両方を傍で見ているので、銭形がいなくなるとルパンが張り合いを失って落ち込むのが、本人達以上によく分かってらっしゃいます。




モクジへ     ハジメから





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送