贈り物


 朝の8時。
 チチチ・・・と小鳥が気ぜわしく鳴いて、朝日が昇りきっていることを告げた。
 いつもの通りもっとも早起きの五右ェ門が起き出して来る。彼の仲間達は仕事が何もないと、とんでもなく怠惰な生活を送りがちで、珍しく昨夜はこの男所帯で寝泊りしたルパン、それに付き合って深酒した次元が起きるはずもなかった。
 五右ェ門にとって、今は決して早い時刻ではない。昨日の酒盛りには少し付き合って、少々寝過ごしたと思った。

 窓に近寄り、カーテンを開ける。律儀にタッセルを巻いて雨戸をこじ開けた。雨戸には長年の風雨に耐えてきたらしい貫禄があって、動かすにもいちいち文句をキイキイつける。
 強引に開けると、薄暗かった室内にやっと朝らしい光が戻ってきた。
 グラスやら、つまみが入っていた皿やら、吸殻で溢れかえりそうな灰皿が、片づけをしなかったせいで乱雑に机を汚している。
 五右ェ門は眉をひそめてそれを見、自分の猪口だけ洗って、あとは一応まとめておいた。しょうがない奴らだ、と分かりきったことをわざわざ口にして、しかし口元は笑っているように見えた。
 クッションを拾い上げて、ソファにきちんと乗せる。
 ここまでやって、もう昨夜の残骸が残ってはいまいと室内を見渡して、五右ェ門は昨夜どころか一ヶ月前の遺物を見つけてしまった。
 カレンダーが先月のままだ。
 ふうっと、諦めに近い溜め息を漏らし彼はカレンダーに手を伸ばした。一度気になると直さずにはいられない性分なのである。古い紙を破って、無意識に今日の日付を探すと、つい小さく声が漏れた。
 彼女の誕生日が近い。
 彼女、とは婚約までしたある少女。飛騨に残してしまった少女。そして、今も自分の帰りを待っているであろう少女。
 彼女への思いを断ち切って、ここにいるはずなのに、たまに未練を見つけることがある。誕生日を忘れられないことも然り、だ。

 そして、別れてから一年以上も経つが、なにか誕生日の贈り物をしたくなった。

 やはり、修行が足りぬ。
 もう一切、彼女のことは忘れようとしたというのに、プレゼントなどしたらまた紫に自分の面影を思い出させるだけではないか。他の誰かと幸せになって欲しいと願ったのは、どこへ遊びに行ったのだろう。
 第一、何を渡すつもりだ。少女の好きなものや流行には疎い自分が。そう、自分を戒めた。
 紫へのプレゼント、という思いつきはしっかり捕まえて、鍵をかけよう。そして、胸の奥の沼へ沈めよう。
 この沼が出来たのは、おそらく初めて師についた頃だった気がする。道場では、兄弟子に楯突く事は許されない。気がつけば、一番下だった当時の彼は、道場中の兄弟子達の不満の捌け口になっていた。五右ェ門より下の者は居なかったせいで、自然とそれらは胸の隅に溜まった。
 それがやがて腐って原形をとどめないまでになり、一体何に腹を立てたのか分からなくなった後も、行き場をなくした感情は出来た沼に放り込んだ。ルパンらと行動を共にするようになってからは沼の存在に目を向けることも少ないが、今では確実に沼は心の一部を占有し続ける、確固たる存在にのし上がっていた。
 もしかすれば、初めに溜まった所と言うのは、母の死の穴かとも思う。だとすればこの沼は母上のなくなった幼年期にまで遡る事になり、業の深さに身震いが出た。
 

 買っておいたあじの干物をコンロに入れ、納豆をだし、冷蔵庫から出した御飯にかけた。味噌を切らしていて、味噌汁は諦める。薬缶に水を汲むと煮沸して、60度まで湯温を下げた。こうしてからの方が、緑茶は良く出るのだった。
慎重に淹れた茶を満たした湯飲みと、冷や飯と、納豆。あじが焼けたので持ってくる。質素な朝食が並んだ。
 あじの身をほぐしながら、またカレンダーに目を遣ってしまった。
 ぽっかりと、思い付きを入れた箱が浮かび上がった。がちゃがちゃ中で鍵を外そうと騒ぐ音がする。また沼に押し込んで、目を逸らす。沼に沈めれば例外なく二度と浮き上がることはないというのに、と少し焦った。
 話す相手もいず、五右ェ門は黙々と朝食を食べ終わった。
 食器を洗っていても、さっきの箱のことが気になって手につかない。挙句に、同じ皿を何度も洗剤で洗ってすすぎしていた。ガチャン とその皿を置く。
 こんな精神状態で何かあれば隙だらけなのが痛いほど分かった。
 かといって集中も難しい。

 愛刀斬鉄剣での抜刀術さえも鈍っているのに気付き、ついに五右ェ門は敗北を認めた。
 さっきの箱を掬い上げる。箱は待っていたかのように、勢いよく水面に現れていた。
 
 結局、五右ェ門はプレゼントを買いに町に出ていた。一体、何を買うというのだろう。実は、彼自身よく分かっていない。
 女性に何か送ったことなど、無いに等しい。誰か参考になりそうな人間を当たれば、ルパンの姿がはじき出された。
「ルパンか・・・奴は何を渡していたかな」
自問自答の末に思い出したのは、不二子へ気取った仕草で宝石を渡すルパンの姿。そうか、宝石か、と思ったものの、果たして紫は喜ぶのかという壁にぶち当たった。だが、他に選択肢がないのも事実で、五右ェ門の足は最寄の宝石店へと向かったのだった。
 


 ショーウィンドウには、燦然たる大粒のダイヤやルビーの貴金属。店に出入りするのは女性がほとんどだ。たまに五右ェ門と同じ立場らしい男性が、背中を丸めて入っていく。
 店の雰囲気と不慣れな場所であることも手伝って、なんとなく気後れしながら五右ェ門は自動ドアの内側の世界へ踏み入る。いらっしゃいませ。身なりの整った30頃の店員が声をかけた。
「プレゼントでいらっしゃいますか」
「・・・そうだが・・」
「ご予算はどれほどで?」
「・・・・・・」予算?そういえば全く考えていなかった。急いで懐具合を確かめる。そんな彼に女店員は焦るように言った。
「クレジットカードもご利用いただけますよ」
「・・・・・」クレジットカードの利用は、そもそも無理な身分なのだ。どこの世界に、国際指名手配班へカードを発行する銀行、泥棒名義でカード払いを認める店があるか。
「・・では、とりあえずお求め安いものからお見せいたします」
 そう言って、女店員は彼を一つのショーケースの前へと連れて行った。
 確かに、ぱっと見れば高級そうな石が、イミテーションという値札をつけられて安値で並んでいる。しかし、商売柄高価な宝石に見慣れている五右ェ門には、一瞥しただけで本物の宝石との区別がついた。紫へニセモノを贈るのは心苦しい。
 五右ェ門の表情を察して、次に店員が導いたのは、さっきのショーケースより小粒だが正真正銘の石がある場所だ。
「こちらなど如何でしょうか?」
「少し、見て回りたいのだが・・・?」
「そういうことであればご自由に。何かありましたらお気軽に私どもをお呼びになってください」
 女店員がそそくさと次の客の相手をしに去って、五右ェ門はやっと充分に商品を眺められた。可愛らしいハートや熊のかたちに彩られた、色とりどりの貴金属。落ち着いた調度の店内で、それらは小さいながらも誇らしげに、自己を主張していた。
 宝石店という華やかな空間がなせる魔術か。店内を歩き回る人々の顔は陶酔の甘い表情に溢れ、足取りさえ優雅に見える。一ミリに満たないような石が、目を射るような光を跳ね返す。
 ここは、非日常なのだった。
 五右ェ門は、18金のいるかがはね散らす水飛沫をブルートパーズで表現したネックレスを見つけた。周りにあるのはどうも紫に似合いそうでない物ばかりだが、これは紫のイメージにすっきり重なった。
 それをしげしげと眺めているうち、あの「いらっしゃいませ」が聞こえた。なんとはなしに振り返って、目が大きく見開かれる。
 悠々と店内を見回しているのは、五右ェ門が昼も夜も見ている顔だった。
 この男以外には着こなせない真っ赤なジャケットを羽織って、女店員―――こちらはまだ20代の若い女性だが―――になにやら冗談を言っている。
 慌てて背を向けるも、ルパンの生来の目敏さをごまかしきれるはずもなく、ましてや着物姿の彼はいともあっさり見つかってしまった。
「よう、五右ェ門。珍しートコで会うねえ?」片手を軽く挙げて、ルパンが近寄ってくる。
「あれ? 五右ェ門ちゃん、ショーケース熱心に覗いちゃったりして。だ〜れ〜の〜か〜な〜?」
「・・・」
「言いたくない?・・誰かオンナでも出来たワケか」
「そんなことではッ」
「いーよいーよ、そーいうコトなら。オレだってんな無粋な真似はしねェから、じゅーぶん選んでてくださいヨ」
 からかわれているとは分かっても、顔が真っ赤になって何も言えない。よりによってこんなところで、と思うと罰の悪い思いが胸中に広がって沈殿した。
「か、帰るッ」赤くなった顔を隠すようにそむけ、五右ェ門はすたすたと宝石店からの脱出を果たした。
 彼は正規の入り口から出たつもりなのだが、実は裏口から行ってしまった五右ェ門の姿を、ルパンはくすくす笑いで見送り、
「ホント、誰へかねェ?」と白々しく首をかしげたのだった。
 


 結局手ぶらで帰ってきてしまった。
 無念さと、先程ルパンに見つかったことへの後悔をしょって帰ってきて、アジトの玄関まで来たところで脱力した。あの箱も、いまではぴくりとも動かない。
 ドアを押し開いて中へ入ると、次元が居た。
「起きたのか」
「10時位にな」
 短い会話を交わす。次元はソファで寝転んでいて、どうやら二日酔いらしい。
 五右ェ門は眉を軽くひそめた。また、クッションが散らばっている。
 次元の向かいのソファに座ると、彼と丁度向き合った。ルパンにばれたのなら、と半分ヤケで聞いてみる。
「おい、次元。何を渡せば女は喜ぶんだ?」
「んーー?誰だよ、相手は」次元は素っ頓狂な顔をした。
「紫の誕生日」「ああ、そろそろか。あんたもやっぱ忘れられなかったと見たぜ。そうさなァ・・・」
 もっと揶揄されるかと思っていた五右ェ門は、次元が案外真剣に考えてくれることに安堵した。しかし、頼みの綱の次元の答えは、
「本人に会って聞いたらどうだ」であった。
 紫に会う。意識的に考えないようにしていた選択肢をあっさり言われて、今度こそ鍵が壊れた。一応沼から引き上げておいた箱の鍵がすっ飛んで、中から紫の顔・声・仕草などが無際限に飛び出て駆け回る。
「会う?」
「そう・・一年ってのは、待たせる方が思いもしないほど、待つほうには長いのさ。好みだって変わってるかもしれねェ。それに・・」
 次元はその先をあえて言わなかった。頭の中には「お前さんだって、実は会いてェんだろ?」というフレーズで完結していたのだが、ここで徒に五右ェ門の気持ちを当ててしまうと、へそを曲げてしまうだろう。
 恥ずかしさ紛れに、こちらの安全を脅かすかもしれない。五右ェ門の自尊心の代価は高い。
 一方五右ェ門は、次元の考え通り、紫へ会いたい気持ちを抑えきれるか、自信が無くなって来ていた。こんなときこそ精神統一、と試みてみるもの、上手くいかなかった。幾度目かの失敗の後、諦めて大して汚れてもいない愛刀の手入れを始めたのだが、そこへルパンが帰ってきた。
 思わずさっと顔を背ける。次元が何か察したのかニヤつきながら、入ってきた男へ片手を上げた。
「五右ェ門」
「・・・・なんだ」
「宝石店でな、ちょいと散財。男にプレゼントなんざ趣味じゃねェけど・・・」
 ルパンが「ほらよ」と投げてきた物は紙袋。それを覗き込むと、中には小さいけれど丁寧にしつらえた二枚貝を模した小箱に、新幹線の特急券が往復二枚。
「ルパン・・・?」訝しげに見上げた五右ェ門を制して、ルパンは「箱を開けてみろ」と言った。
 ぱちり。
 磁石の金具がはずれ、蓋がぱっくりと開いた。中には、あのイルカがいた。
「これは・・!」
「紫サンだろ?なら、五右ェ門が会いに行くことがなにより嬉しいプレゼントになるハズだ。違うか?」
「・・・・俺は彼女を傷つけて、飛騨に置いて来たのに・・?」箱を見たまま、
「会ってやれよ、五右ェ門。彼女は恨んでねェよ」
 次元が言った。
「オレの経験上、そんな風にされて悲しむオンナはいても、会いたくないってオンナはいねぇ・・・」『天才色事師』ルパンが言えば、説得力は増した。
「・・・そうだろうか」
「ソウサッ」今度は二人揃ってだ。
「オンナゴコロって、複雑なのよ。オトコの尺度なんかじゃ、考えられないほどね」
 これはどちらでもないし、勿論五右ェ門でもない。とすると・・
「不二子!!!」
 いつの間にドアの鍵を開けたものか、呆れたことに不二子が立っていた。
「何故ここが・・?」
「アラ、アタシの情報網をなめないで頂戴。アナタたちが何処にいるかなんてすぐ判るわ。アタシ、飛騨でちょっと仕事してたの。それで偶然紫ちゃんに会ってね・・・会いたいって言ってたわよ、あのコ。仕事が終わって、ちょっと近くに来たものだから、伝言役も悪くないなって。それだけよ」
「その話・・・本当か!」身を乗り出す五右ェ門。
「ええ・・・何故アタシがなんの得にもならない嘘を、アナタにつかなきゃならないの?」
 不二子の来訪が、五右ェ門の背を押す最後の一押しとなった。
 そして10分後には、五右ェ門は飛騨へと一路、旅立ったのである。

 そう、あの箱はきっと、あんな沼へ入れて欲しくなかったのだろう。初めは煩わしかった箱の存在が、今ではいとおしかった。


「ふぅ・・・やっと行ったわね、五右ェ門」
 不二子が、今まで五右ェ門の座っていたソファで、モアの煙を作る。
「ん?何、不二子もしかして今の嘘?」
「当たり前じゃない。飛騨なんて何もないわ」
「呆れた・・・・」次元が帽子に手を遣って、大袈裟にため息をついた。
「んじゃ、何の用だ」
 この問いに不二子はふふ、と微笑んでバッグから分厚い資料を取り出した。
「それがね・・福岡県の遺跡から、古代に伝わった仏像への、大量の金塊の供え物が見つかったんですって!古代の黄金よ、ロマンあると思わない?」
「・・・ふーん・・・で、欲しいと」
「さすが、話が早いわ、ルパン。五右ェ門がいると、神への供物をどうのって、またウルサイでしょ?だから、ちょっとお芝居してみたのよ」
「お前な・・・・」次元がぶつくさ言った。
 しかしその彼も、新たな仕事へ向けて、内心嬉々としていたのであった。

 FIN


 03年7月最後の日に。リイへ。

リイからの誕生日リクエストに書いたブツ。おかげで、ここの五右ェ門密度が高くなってます。一応次元好きって言ってるのに・・・(笑)だから最後だけは次元で終わらせました。無駄な足掻きですけどね。風魔をご存じない方には意味の不明な文になってると思います。




モクジへ     ハジメから




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