深夜十一時半。
片側だけに設置された街灯の白い明かり。
その焦点から一歩外れたところに、和装の男が立っていた。薄暗がりで顔はよく見えない。
その横に無彩色のミニバンが止められている。
さらに車の後ろにはぽっかりと穴が開いているのだが、それは上手く車体で隠されていて見えなかった。
見えるのは、そのあたりの界隈にそぐわない立派な赤茶色のビルだけだ。
男は車にもたれて、ただ立っている。人が見れば車が壊れて誰か来るのを待っているように見えるだろう。そしてほとんど人通りが無く、助けられるような技能を持った店も人も無いこんな片田舎で故障してしまった事を、気の毒に思ったに違いない。
しかし、人が来ない事が彼にとってはさしあたって大切な事なのだ。
なにせ彼とその仲間は今泥棒の真っ最中なのである。
「そろそろ時間だ」
ミニバンの裏に回って五右ェ門が言った。
辛うじて入り口が見える穴の中で、次元がせっせと掘り進んでいる。
「ああ、もうすぐだよ」
ここにいないルパンは、既に二人の後ろの銀行――赤茶色のビル――に忍び込んでいて、この穴はその逃走用のもの。次元が掘って、五右ェ門が見張る。ただそれだけの仕事だった。
寒いな、とかじかんだ手をこすり合わせた時だった。
四つ角に光が見えてバイクが一台走ってきた。
ただの通行人と思いたいして注意を払わなかったのだが、丁度五右ェ門の前に来るといきなり減速した。
「石川五右ェ門さんってのはあなたですか?」
つい身構えたこちらの気も知らず、のんきにバイクの男はヘルメットを取って話しかけてきた。茶髪ににきび面をした目の小さな青年。
五右ェ門はあからさまに警戒しつつ軽く頷いて肯定した。
「すぐに見つかって良かった。和服の男の人だって聞いたんで、本当にいるのかと思ったんですよ」
「・・・なにか?」
「そこを曲がってちょっと行った所、ポストの前で赤いジャケットを来た人に渡されたんです。・・・その人相当焦ってたみたいで、オレも名前聞くの忘れちゃったんですけど」
約束に遅れてでもいるのか、押し付ける様に名刺大の紙を渡すと、来た時と同じようにさっさと行ってしまった。
怪しみながら紙を見た五右ェ門はあっと息を飲んだ。
『すぐ来てくれ。次元には言うな。 ルパン』
それだけの言葉が達筆ではないが読みやすい字で書かれている。
いくつかあるルパンの筆跡のうち、最もよく五右ェ門が目にする書体にそのカードの文字は酷似していた。
計画に変更でも出たのかと、不安に思いながら彼は教えられた道を走った。
もう街灯すらない。思ったより長い道のりを走る。
暗褐色に沈んだポストの前には、しかし誰一人いなかった。
「しまったッ!!」
顔色をかえてきびすを返す。
あの紙をもう一度見ると、文も署名も嘘のように消えて白いだけだ。
ここに来る時より、遥かに心臓が苦しく鳴っている。
走りつづけて彼は戻った。
穴の前で見たものは、険しい顔のルパン、抱えられて咳き込んでいる次元。
そして、さっきまで次元が潜っていたはずの穴から立ち上る黒煙だった。
アジトは異様な空気の中にあった。
誰が見ても分かる怒った顔つきでルパンが煙草をくわえている。いや、噛みつぶしているといった感じだ。
右へ左へうろうろしているのは、そうでもしないと感情が暴走するからだろう。いつもは床に敷いてある木目の大体三つ目毎を踏む歩幅が、今日は随分大きくなっていた。
往復するルパンの前の冷たい床の上に、五右ェ門が直に座っている。
次元は表情の一切を帽子の中に仕舞いこんで、その光景をじっと見ていた。
「まず、状況を整理してみようじゃないの・・・エッ?
オレたちは銀行の貸し金庫を狙った。分担はオレが先に銀行に入って、金庫に潜りこむ。次元は脱出路を掘る。お前さんにはその見張りを頼んだンだったよなッ?」
頭を垂れたままなのは、肯定。
「ところが、だ。お前さんがチッとばかし・・・とオレは信じているンだが、退屈になってそこらをフラフラしているうちに、誰かが穴に気づいた」
「俺は退屈で穴を離れたのでは無い!」
弁明に聞こえたのか、ルパンは気にも留めず無言のうちに受け流した。
「理由は後で聞くとして、穴を見つけた誰かが問題だよ。
奴は穴の中にガソリンを撒いて火をつけやがった!ぎりぎり届いた亀裂から金庫まで入ってきた煙で火災報知器が鳴らなかったら、どうなってたと思う?
勿論盗みはシッパイですヨッ」
五右ェ門は顔を上げられなかった。
「一体何やってたンだ、答えてみろッ」
「・・・その辺を歩いてたんだ」
下を向いたまま答えた。ルパンの足しか見えなくても、その上についた瓢きんな顔は今や怒気に充たされているだろう。
それでも、ルパン自身に呼び出されたなどとは口が裂けても言えなかった。
どうみてもあれは偽手紙を使った偽の呼び出しだった。のこのこ敵の計略にはまっただけでも腸が煮えくり返る思いなのに、それを告白するという屈辱までとても耐えられそうに無い。
「フーン、よっぽど大事な御用事がおありで?」
この男に似つかわしくない嫌味。ルパンからしてみれば嘘をついているとしか思えない五右ェ門に、本当の事を吐かせるには怒らせるのが一番だと踏んだのだろう。しかし、目の前の彼には怒る気力も無いようだった。何も答えず、ただ神妙に肩を落として座禅修行を思わせるあぐらで座っている。
「オイ、答えろよッ!!」
当の次元は何を考えているのか。一言も発せず、鋭いはずの目をつばの奥に隠したまま壁に寄りかかっている。
その沈黙は相棒の雄弁より却って強く五右ェ門を責立てた。
「・・・だから、歩いていたんだ」
「何のために?」
「別に」
こんな答えをすれば、ルパンを更に怒らせてしまうのは分かっていた。分かってはいたが、他の答え方を彼は知らない。
思いがけずルパンの口調が緩んだ。
「なァ、オレは理由によってはお前さんの所為じゃないと思ってンだぜ。あるんだろ、理由が」
黙秘、という形ではっきりと五右ェ門は答えを示した。
これにはいい加減ルパンも限界らしかった。
「よーーっく今後の身の振り方を考えるんだな!」
捨て台詞を残し、五右ェ門から最も遠いソファに沈み込む。
すっと五右ェ門が動いた。
顔を上げたルパンを素通りし、まっすぐ次元だけを見る。
「すまなかった」
ぼそりと、それだけの言葉。五右ェ門の唇が小さく動いただけで、次元も、ルパンも動かなかった。
勿論、謝罪を向けられた男は相変わらずの無言。
帽子の下からでは暗くなって見えなかっただろうが、横顔が見える位置に座っていたもう一人の男からは見えた。
五右ェ門の表情は一瞬だけ泣き出しそうにゆがむ。
はっとする間も与えず、再び平静に戻った端正な顔の主はドアを開けた。
背中が開けっぱなしのドアの向こうの世界に消えた。
彼という存在を埋め合わせるように、寒々しい風が入ってきた。
誰も、ドアを閉めようとしなかった。
暗い。さっきの事があってからまだ夜も明けていないんだと気付く。
アジトから逃げるように早足で通りを歩いていると、ふつふつと後悔の泡が浮いてきた。
感情のよどみから生まれる泡がパチンと弾ける度、足取りは重くなっていく。このままではやがて押しつぶされて動けなくなる。
アジトが見えない路地に曲がって、やっと息苦しさが薄れた。それと共に考える余裕も出てきた。
俺はまた一つ居場所を失ったのだ。
あれほど失いたくないと願ったのに。
彼の師の元での、心地良くは無いが住み慣れた生活は数ヶ月前に最悪の結末を迎えていた。
百地の下にいるのは藁のベッドに寝るようなものだ。
細い稲藁に、銀色の毒針が忍ばせてある、藁のベッド。いつか刺されるのは分かっていても、寝床は他に無くさりとて野宿すれば凍死してしまう。
そして彼が名を上げる毎に、困難な仕事を成功させる毎に、針は確実に増えていった。
幸い彼は別の寝床を見つけたが、師の最後を思い返すと胸が痛む。
それを、あの男は「甘い」と笑うのだろうか。実は自分こそ甘いくせに。
でもきっと笑われる事ももう無い。
直に夜が明ける。
これからはまた別の居場所を捜さねばなるまい。自分が果たして上手くやっていけるだろうかと不安も残るが、駄目だったら日本に帰って日雇い仕事でも探せば済むことだ。
見通しが甘いと、またあの男が笑う。
体力には自信があるし、何が甘いんだと言い返せば、「他の生き方なんて教わってねェだろ」と。
最後まで何も言わなかったあの男との会話をリアルに想像できて、余計虚しくなった。そこまで馴染んでしまった。
再び足を速めて歩きながら、五右ェ門は後ろを振り仰いだ。
それから、文字が消えて何の証拠にもならなくなった偽手紙を捨てようとして懐を探る。
無い。とするとどこかへ落したか。どうせただの白い紙なので諦めて今晩の宿を探すことにした。
夜はそろそろ明るくなってきた。
太陽の端っこが多分地平線を越えたと思われる頃。
やっと閉まったドアの前でルパンは座り込んでいた。むろん先程五右ェ門がしていたようにきちんとした姿勢では無く、ぐしゃりと頭を押し下げられたような座り方だ。
そんな相棒を横目で眺めて、次元は大儀そうにソファに座る。
「追い出したのはお前ぇだろ、ルパン」
「・・・何も言わなかった」
「はぁ?」
「出て行く時、何も言わなかった。あんな簡単に出てっちまうとは思わなかった」
次元は可笑しくなる。
「五右ェ門に挨拶して欲しかったのか」
「いんや。ただもうちょっと」
「もうちょっと?」
駄々をこねて欲しかった、という呟きは小さくて次元に届かない。次元もあえて聞こうとせずにシケモクをあさって口にくわえる。
二人とも拍子抜けした思いだった。もっと彼らの元に居ることに執着を示すと思っていたのだ。それをあんな未練も無く・・・。
未練も無く、と思っているのは次元だけで、ルパンは去る寸前のあの表情を見ているから少し違った風に考えている。それでも結果的に何も釈明せず出て行ってしまったのだから、両者の考えに大した違いは無い。
「オレの目が狂ってたンかな」
ぼそりとルパンが漏らした。
「剣の腕は狂っちゃいなかったさ」
「そりゃそうだヨ、だけどオレが見込んだのはそれだけじゃねェ」
「律儀さ、か?」
ああ、とドアの前から立ち上がって次元の向かいに座ったルパンが言う。
「不二子はあの通りだし、お前ぇは義理堅くても律儀っていうのとはちょっと違うし、奴みたいなのは珍しいと思ったんだヨ」
なるほど、人は自分に無いものを持つ人間に惹かれるのだ。
「不二子の裏切りには散々な目にあってるモンなぁ?」
「なのによォ・・・どうもおかしくないか」
「そうだな。んで、コイツが五右ェ門がふいっと見張りをサボった理由なんじゃねェかと思ったんだが」
ぴらぴらと次元の手で白い紙が踊る。
「何だ、それ」
「テーブルの下にあった。お前が怒ってる間は言わないほうがいいと思ったんで、持っていたんだが・・・。怒りも冷めたんだろ」
ルパンはひっつかむように紙を取ると、抱え込んで調べ始めた。
「あぶり出しか?」
「いや、ライターを近づけても何も出てこねェ」
それっきり彼は研究に夢中になって生返事しか返ってこないようになったので、次元はしばらく放っておこうと決めた。
「分かったら教えてくれや」と言って、次元は隣の部屋に入った。
「分かったぞーー!!」と叫び声でマグナムの手入れを中断させられたのは、十分後の事だった。
行ってみると、茶色く変色した紙の前でルパンが興奮した表情でいる。
「時間が経つと消えるインクで書いてあった。この薬品をかけると文字が出てくる」
覗きこんだそこに、ルパンの署名と短い文章。
『すぐ来てくれ。次元には言うな。 ルパン』
「あいつ、本ッ当に甘いなァ・・・」
苦笑して次元が言った。
「さてと。拗ねた五右ェ門チャンを迎えに行きますか」
ルパンが笑った。
素敵な相互リンク次元を頂いたので、これはそのお返し。
のぞみさん、といったら五右ェ門のことばかり浮かんで、こうなりました。フレームだと見えないんですがタイトルに「またゴエ。」って書いてあるのはそういうことです。このタイトル、のぞみさんに笑ってもらえたようです(苦笑)
末っ子路線まっしぐらのうちのゴエ・・。