「なんだ、小ッせェな」
向き合った大男の第一声はこれだった。
「アンタがデカすぎるんだ」
男のせいぜい胸板までぐらいしか身長の無い、ひょろりとした体格の少年がいる。
思いっきり見下ろされて、むっすりとした顔でその少年は言った。
しかし最早大男は少年の方を見てはいず、ボスらしき派手なスーツに身を包んだ男にまくし立てていた。
「なんだって俺が、子守りをしなきゃならねェンです?」
「まあ、そう迫るな。このガキにだってそれなりの使い道はある」
「足手まといですよッ」
「時には足手まといが必要になるさ」
「・・・だからって何もこんなヒヨッ子を・・・」
ヒヨッ子のヒの字の辺りで少年の不機嫌はピークに達し、おおよそ忍耐とは無縁の気性が、ついに辛辣な形を取って口に出た。
「おじさん、オレを見くびンのかいッ?」
振り返った男は、言い放った少年の目が壮年のボスにではなく自分に向けられている事を知って、うっとなった。見た目で判断するに、彼はまだ30代前半かと思われる。おじさん、などと呼ばれたのは未だ生涯にあるまい。
少年はおそらく16,7だ。
年端も行かないこんな子供にボスの前で怒鳴り散らすのも、という自制が働いて声にこそ出さなかったが、男の目は途端にガラが悪くなって睨み付けている。
勿論、少年の方はあくまで子供扱いされて面白くない。
睨まれるきつい眼光に彼は臆することなく、
「引退間近の年寄りよりは使えるぜ」とまで言った。
「俺は29だッ!!」
どうも老けて見られるらしい。気にしていたところを突かれて男も黙ってはいなかった。
精一杯の年上の貫禄と余裕を見せて
「今から仕事の打ち合わせをするんだ、ガキはどいてろ」と、少年を追い出してしまった。
古いプレハブの割り当てられた一室。そこにラジオがあった。
先程の少年がその横に寝転び、片手でダイヤルを忙しなくいじっている。
やがて、雑音を割るようにスピーカーから話し声が流れてきた。
「感度りょーこー」自分にだけ聞こえるように。もっとも室内は彼一人だったが呟くと、あとは仰向けで天井の染みを見つめる。
つんつるてんに近いズボンから覗く細い足首。柔らかな動きをする成長期特有の長い足が、その先に続いている。
一見するとひ弱に見えるが、よくよく見ると線は細くともバランスのいい筋肉質の体だ。
茶のかかった癖毛が何となく黄ばんだ感じのシーツに沈んでいる。少年は長くなった前髪を鬱陶しげに払った。
部屋のもの全てが黄ばんで見える。一世紀ぐらい掃除してないんじゃないか、と思わせるぐらい汚れた白熱灯のかさの所為かもしれない。
ラジオから控えめにしぼったボリュームの会話がぼつぼつと続く。
「じゃあ、囮になれってことですか」
「そうだな」
「追っ手は何人ぐらいです?」
「多めに見て10人だ」
ひえ、と普段のテノールの音域の声に似つかわしくない小さな悲鳴。
「一人五人!」
「しかも、奴らは必死になって来る」
「それじゃいくら何だって無理だ」
一瞬、ラジオが鳴り止んだ。
「・・・だからあのガキを連れていくんじゃねェか。
こいつが偽の顧客リストだ。奴に持たせとけ」
今度男はしばらく無言だった。とっくに理解はしたようだ。
「まさか、ボス・・・」
「ガキは見捨てろ、ちょこまか逃げるようだったらお前がやっても構わない。
ともかく死んだ奴から顧客リストらしきものが出てきたら、相手は引き揚げる。あとはお前がなんとしてでも持って帰れ」
「ボス!あの子を捨て石にする気ですか!」
声が大きくなった。
返事は聞こえなかったが、きっと首を縦に振ったんだろう。
もう聞く気は無い、と少年は退屈そうに寝返りを打ってラジオに背を向けた。
聞くものがいなくなったスピーカーは、雑音だけが騒ぎ立てる。やがて少年の手が伸びてきて後ろ向きのまま消されてしまった。
男が戻ったのはそれから数分後だった。
同室を割り当てられた彼は、隣のベッドに足を上げて座った。スプリングが耳障りな瀕死の音を立てた。
「・・・厄介な事になっちまったよなァ」
「どんな仕事なの」
素知らぬ顔をして聞いた。
男は「道々話す」と言ったきり、その日は仕事の話を一切しようとしなかった。男の煙草が室内に煙って、布をヤニ色に染めてドアの隙間から漏れていく。
この部屋が汚ない訳だ。
翌朝、中古の軽自動車で二人は出発した。この車も元はシルバーグレイだったものが、黄色みがかった薄汚れた灰色になっている。
一目見て使い捨て用の一番古い物だと分かる、この車で空いた道路を走ること四時間の道のりである。
10分ほど経った頃、男が妙な質問をした。
「なぁ、車運転できるか」
「できるけど」
少年は助手席で応えた。
「ならいい」
「・・・ねぇ、どんな仕事?」
ああ、とやっと男が語り出した。ほとんどは少年が知っているような話だった。
向かってる先はさる麻薬仲買組織。副業として同じく仲買を始めた二人の組織Aと利害が対立している。
新しく取引の市場に食い込みたいこちらとしては、十年前ぐらいからこの辺一帯を取り仕切っている組織Bを潰したい。そこで、一計を案じた。
麻薬の売買の証拠を集めておいて、警察に提供されたくなかったら金を払えと脅迫した。もともと、土地の警察と組織Bとは馴れ合いの関係にあるのだが、こっちのボスは警察の幹部を買収していて、今度ばかりは敵対する方は摘発を逃れそうに無い。
とはいえ、最初から吹っかけた額を要求したので断られた。そこで、支払いを猶予する担保として顧客のリストを求めたのだ。
極秘のリストである。
ご法度の麻薬売買だから、リストが巷に出回ればその組織Bの信用は失墜。あとは手を下さずとも自然崩壊するという読みだった。
「リストを受け取るだけ?」
「そうだ」
「じゃ、簡単じゃないか」
「そうもいかねェのよ」
ところがリストの流出が組織の存亡に関わるとなれば、相手も手を尽くして食い止めようとする。
弱みがあるので一応リストは渡すが、折を見てリストは取り返し、『正体不明の襲撃者』に奪われたということにして事実を有耶無耶にしようというらしい。
話を聞いた少年はふうんとだけ相槌を打ち、目線を窓の先に転じた。
上手くごまかしやがった。昨日知り合ったばかりで、おまけにラジオの会話、男の話に好印象を抱けるはずもなかった。
何を話すでもなく車は四時間走り続ける。
港の薄茶けたビル。その1階と地階が問題の組織の本部だった。
予想通り、二人は何の面倒もなく迎えられて幹部らしき男女から茶封筒を渡された。
細く口をあけて中身を確認する。既に把握してあったいくつかの数字と一致しているのを確認してビルを出るまで、10分とかからなかった。
車に乗り込んですぐ、リストの入った封筒を渡されたときはおや?と思った。
「おじさん、オレがもつの?」
おじさんはやめろ。苦笑して男はそう言った。
「兄貴とでも呼べ。おれはまだ・・・・」
「29だろッ? おじさんをおじさんって呼んで何が悪いんだよ?」
「いい加減にしろ、小僧」
助手席で大きな態度を取る少年に、それでもまだ笑って男は言った。
「小僧って言うの、やめてくれたら考えるよ」
「じゃ、チビか」
「・・・じいさんとでも呼ぼうか」
大男はまた目を丸くしたが、すぐにガハハと笑い出した。
「勝手にしてくれ」
「やっぱりおじさんが一番いいや。アンタ、似合ってるよ」
おじさんが似合うのもまだ二十代としては如何なもんかな、と男は考えたがそれもいいかと思い直した。
ひょいひょいと言葉が飛んでくるこの少年と、呼び名で議論しても勝ち目はなさそうだ。それに、少年に似合ってるといわれると妙に説得力があって納得してしまう。
その少年は窓を見ている。
行きとは比較にならないスピードで立ち木が後ろに流れていっているのが、分かっているだろうか。
メーターは120キロを軽く超えて振れた。話していないとき、男の顔は引きつっている。
スピードはどんどん上がった。スピードが上がるに連れてバックミラーを見る回数も増えていく。
焦ってやがる、そう思いながら少年は横目の観察を続けた。
もし相手が本気なら、こんなちゃちな軽自動車で急いだところで早晩追いつかれるだろう。待ち伏せの可能性もある。
それを知っているのか知らぬのか、加速は止まらない。これしきの速さ、少年には全く恐怖を与えなかったが、だんだん自分よりもボロの自動車が心配になってきた。
30分ばかりこのペースだ。
結局、襲撃があったのは恐れていた後方からではなく、横からだった。
左右に雑木林が緩く盛り上がった林道に車がさしかかった。と、右手に何か動くものがあり、あっと思った時にはタイヤを撃ちぬかれて横の土の山にぶつかっていた。
慌てて車を降り、車体と土との間に身を潜める。銃撃戦になった。
「相手は六人だ」隣にしゃがみこむ男に声をかけると、彼はひどく真剣な顔で振り向いた。しっかりとサブマシンガンを抱えている。
「逃げられるか」
「・・・どういうこと」
「いいか、おれが出たらすぐ雑木林に逃げ込め。木を縫うみたいにして走れば、運が良けりゃ弾はあたらない。・・・いいな?頑張れよ、小僧!」
檄を入れたくせに、自分の膝が震えている。少年が何か言い返そうとした時は既に遅かった。
男は飛び出していった。名前が呼ばれている、と思った。馬鹿、とっとと行けよと叫びながら、マシンガ
ンを連射する。
もう何も分からない。人体がふっ飛んだ気がする。的ばかり相手にして引き金を引いてきたこの男は、最早無我夢中だった。
怖い。しかし、不思議と逃げ出したい衝動は無かった。指を引き金に固定して、男は吼えた。
ふっと、二つの銃口がこっちを狙っているのが見えた。
やられる。急に体がこわばって、頭が真っ白になった。逃げようと思っても足が動かない。
二つ銃声が続けざまに響いた。
が、倒れなかった。狙っていた二人がどさっとうつ伏せになっている。
状況を把握できないまま、敵意の無い背後の気配に気がつくと、あの少年がいた。
すぐに、車の影に引き戻される。
「お言葉に甘えて逃げても良かったんだけっども、アンタが死ねば逃がしてくれるような状況じゃねェみたい」
言われてみれば、逃走経路に指示した林の中にも更に二人、物騒なものを持った人間がいた。
「奴ら、リストごと消す気だ」
適当に応戦しながら少年が言う。
「・・・ってことで、おじさんは向こうを頼む!」
助けられて、抗う気は起きなかった。それに、少年はもう3人を相手に撃ち始めている。
男はサブマシンガンを構えなおした。
結局、戦闘を制したのは彼らだった。
内訳は少年が5人、男が2人。あとの1人は逃げた。
少々息は上がっているものの平然として、銃の手入れをしている少年。男には彼が信じられなかった。彼らの2.5倍の敵をたった1人で易々と撃ち、傍から見ているほうの目がおかしいのかと思うほど身軽に、弾を避けた。
最終的に傷ひとつ無く二人は生きていた。
「・・・なぁ、アンタ一体誰だ」
「オレにもよくわかんねェや。・・・・きっとただの小僧だヨ」
少年が笑う。
「ただの小僧があんな撃ち方できるかよ」
「それもそうだね」
さっきまでは意識するどころじゃなかったが、今日はいい陽気だった。柔らかな光が、さらさらと揺れている。明るいぶなの林は静かだ。
「おれはな、今日初めて人を撃ったんだ」
「そう」
さらりと少年は言って、遠くを見る仕草をする。年に似合わない、やけに大人びた仕草だった。
「・・・アンタは、きっと世界一になるよ」
「何の?」
「銃の腕のだ」
「そうなるといいんだけどねぇ・・・今のところ、適わない奴が居るし」
手入れの終わった銃――ワルサーP38をいじる。
「ま、足の早さもスリの腕も、何もかもオレの方が上だけっども」
銃だけは適わない。悔しそうな口調のくせに、顔つきは楽しげだった。男は黙っている。潜んでいた小鳥がのどかに鳴いた。
「・・・さてと。これ渡しとくよ。おじさんのボスには、オレが死んだって言っておいて」
茶封筒を押しつけられて、慌てて引き留めようとしたときには、少年は既に歩き出していた。
「待てよッ!」
「悪ィけど、一度でも殺そうとした奴のところには戻りたくない」
「おれはそんなこと・・・」
「おじさんじゃねェさ」
ふっと少年が笑いかけた。ただ生意気だと思っていた彼は、そうやって笑うと吃驚するくらい整った顔立ちをしていた。
「あばよ」
少年が木々の中に消えた後、男は偽のリストを取り出した。
ライターで火をつけて投げると、それは透明で明るい炎を出してあっという間に燃えてしまった。
風が灰をさらっていったころには、男もまた歩き去った。
このリストを無事に届けたら、足を洗おう。向いてないことを痛感した男はそっと考えた。
・・・またジャリを書いてしまいました。だって、好きなんだもの(笑)
一応彼はルパンです。口調とかで何となく分かるかなとは思ったのですが、もしかしたら次元だと思われた方もいるかも。子供、とまでは行かなくてもまだまだ未熟な頃。すでに帝国から出て次元とも分かれて腕を磨いてる「修行時代」という位置づけです。
で、これは辞書で題名を見つけて話が浮かんだ。「殺す」ってついてるのはあまり穏やかじゃないけど、その分インパクトあるでしょ。
男に名前が無いのは名前をつけるのが面倒だった想像の余地が広がるだろうと思って・・・